人は多面体である~そうである自覚を持つことから~

「人は多面体であって、○○という肩書は一側面でしかない。」

 

そう教えて頂いたのは近くでお付き合いのある方からでした。その方は世間一般(この言葉も良く分かりませんが)で言う立派な肩書を持った方なのですが、そんなものはその人を表す一側面だと。確かにその方とはその肩書上でお付き合いしている訳ではなく、その方の自身が知っている側面をひっくるめてお付き合いしていると言えるかなと。

 

あなたにはどのような側面がありますか?側面とはあなたの一面であり、生活の中での役割、社会の中での役割、とにかくあなたを表す言葉です。自身にどのような側面があるか。ひょうきん、真面目、夫、男、35歳、名古屋人、ソーシャルワーカー、自転車好き、シェアハウス運営、経営、市民団体メンバー、不真面目、アホetc...

あなたがある環境に置かれた時に、あなたが担う役割にはありとあらゆるものがあります。ここを自覚し、社会から押し付けられている(とあなたが思い込んでいるのも含めて)言説は自分にとって一側面かもしれないと考え、次に行動できるかが、大事なのではないか。これが今日の結論です。ここで理解された方は以下は必要ないかもしれません。

 

では一例を挙げます。

ある精神病と言われる患者が居ます。病名は何でも良いですがうつ病としてみます。その方が具合が悪く病院やデイケア、はたまた福祉関連の施設に行っているとしましょう。もし本人が通院して通所する生活がほとんど全てであるのであれば、あなたは患者または利用者としての自分しかないのでしょうか。

答えはNOです。なぜなら患者として利用者として役割を担っているのは生活のほんの一部であって、実家で両親と暮らしているのであれば、両親にとって息子(娘)であるでしょうし、コンビニに行けば客でしょうし、市民団体に所属すればメンバーになります。趣味のオンラインゲームをしていれば仮想空間で別の役割があるかもしれませんし、ネット上で定期的に発言や文章を書いていればブロガーかもしれません。その他いくらでも役割があるんです。

時々話をする方の中には上記の多面的な自分がいるはずなのですが、あたかも患者として、または利用者としての自分しかおらず、あるべく自分、いなければいけないと考える場所に居ない自分への苛立ち、葛藤を抱えている方が少なくないんです。でもそうした状況に、葛藤をなくすべく、例えば考え過ぎだとか理想の自分を捨て去るべきだと説法を試みても徒労に終わることは多いかなと。葛藤すること自体に否定をしてもそれはどうすることも出来ない。そうではなく多面的であることを思い出し、葛藤を生まない面がある(これは強みとも言い換えられるかもしれません)のを自覚する。

 

ただそこを自覚しただけで快復(何かしら葛藤や悩み、辛さがあっても社会で生活していくべく動けること)が出来るかと言うと、はなはだ疑問です。

そこで1つ優れたモデルがスウェーデンの学習サークルなんだろうなと考えます。一橋大学大学院の太田美幸さんの報告を読んでみると、スウェーデンの学習サークルとは、年齢問わず関心のあるサークル(団体)に所属し、そこで週に1度3時間程度の活動を続けていくものです。2012年には約28万のサークルが活動し、延べ175万人の方(複数団体に所属する方もあり)が利用していたとのことです。1000万人ほどの国で18%近くが年間に活動している。日本で言うと1億3000万人近くいるので2500万人くらいの人が活動していた。多分そんなに活発じゃあないだろうなと。

学習サークルは近くにある国が認めている学習サークル運営協会(10団体程)に問い合わせ、もし希望に近いサークルがあったら参加する。なければ立ち上げることも出来る。お金は団体でのリーダ的存在の方、講師、会場費は国が出すようです。手続きも簡便であると。25万サークルへ国が出したお金が250億円。その年のGDPが49兆円。0.5%くらいの割合になります。日本で言えば2.5兆円が使われていれば0.5%です。それだけのお金がスウェーデンでは学習サークル立ち上げと運営に使われているということです。そうした学習サークルをコミュニティが無ければ自分で立ち上げる。その支援を積極的に行う組織の必要性を最近感じています。

 

今日はまずはそこまでで、多面体であることを自覚すること。ここから始まることを改めて強調して終わりたいと思います。