なりたい他人や自分に憧れないこと

人間って本当に学習できない面も持っているなと実感する。私自身、情けないが、同じようなことを繰り返してしまう。それは何か。

 

「実力と理想のギャップに苦しみ、イライラ、葛藤すること」である。

 

仏教本に書いてあるような無の境地など入れない。雑念だらけである。カッとなって反応したり、ノルマが達成できないとイライラしたり。優先順位もしょっちゅう間違える。明日はマルシェがあるが、前日になってもお釣りを用意していない。郵便局で夕方に両替すれば良いと高を括っていたが、硬貨は、17時頃までであることをいつも忘れている。おかげでコンビニをハシゴして一番安い水を買い、お釣りを貯める。これを何回やっているのだろうか。

いつも偉そうに書いている葛藤の起こる原因は頭では分かっている。理想と現実が離れていれば離れているほど、実践をしても不全感に苛まれる。それが自己肯定感の低下、自尊心を傷つける。だから理想を現実に引き下げるのが葛藤を生まないコツである、と。

 

それでも葛藤の起きる仕組みを知っていると、ずいぶん気も持ちようは変わった気がする。以下変わったこととして

・まぁ良いか、が増える

・自己肯定感が上がる

・目の前のことに集中出来るようになる

・クヨクヨしなくなる

・新しいことに挑戦することが増える

・世の中で大切だと言われていることと自分のそれが異なってくる

などなど。

 

「まぁ良いか」が増えるのはそりゃそうだろなと思う。自分でない者(理想の自分)が限りなく現実と近いのであればあきらめがつく。だって現実以上のことは出来ないのだから。

「自己肯定感が上がる」のも理解できると思う。理想と現実のギャップにあまり悩まないので、自分を卑下したり、痛めつけることが減る。むしろ日々の積み重ねを成長と実感できれば、自己肯定感や自尊心は上がる。

「目の前のことに集中できる」のは、ギャップに苦しむ時間やエネルギーを目の前のことにつぎ込む余力が出来るからだ。

「クヨクヨしなくなる」のは本当にそうだ。クヨクヨしていた理由が消滅する。

「新しいことに挑戦することが増える」のは、現実の自分が着実に前に進んでいることを実感し始めると、もう少し前に進んでみたくなるからかもしれない。

「世の中と自分の大切であることが異なる」のは、願望・羨望といった類を極力持たなくなるのに連れて、本当に自身が大切にしていることは何かに気づくからである。大概、世の中と自分の大切なモノ、コトは違うはずだが、理想を追い求めるにつれ、大切なものを見失う。

 

まだたくさんメリットは挙がりそうだが、この辺にしておこう。

 

とは言え冒頭で述べた通り、人は学習が出来ないこともある。こうして「頭」では理解しているつもりでも、「なりたい他人や自分に憧れを抱こうとする」。そんな者なれる訳ないのに。最近では、というか昔からそうなのかもしれないが、自身がなりたい自分に憧れを抱くならまだしも、他人に対し理想の誰かを当てはめて怒ったり、イライラしたりする人が少なくない。自分で完結するのであれば、自ら毒をくらうので済むが、他人に毒を盛るのはいかがなものかと思う。ほとんどの人がこうして理想とする何か、誰かに自分を、そして他人を当てはめて葛藤する(葛藤させる)。他人と自分を、加えて自分と理想とする自分を比較する不毛さはこれで分かると思う。

 

人間なんて一生、何かしら葛藤を抱えて生きていく動物である。それでも「現時点で自身が出来ないことを出来てしまうような人と比べ悶々とするのは無駄である」。

 

最近、一緒にミネラルふりかけを作っている方たちは、この点を何となく会得されつつあるような気がする。ありもしない理想の自分は横にちょこんと置いておいて、さてふりかけ作ろうか、といった具合にである。理想とする自分=現実の自分にすれば、初めてのことが出来たと喜びの表情を浮かべられている。理想とする自分≫現実の自分であれば、出来たことに対しても満足が出来ないばかりか、自分は本来こんなもんじゃないと浮かない顔をしている。コップに水が半分入った話と似ているかもしれない。コップに半分「しか」はいっていないか、半分「も」入っているかの違い。結果は同じなのに、どうしてこれほど大きな差が生まれるのか??

 

あなたの中に、理想とする他人や自分はいませんか?それを意識した時に調子が悪くなりませんか?現実のあなたを認められないから、外見に過度に気を使ったり、大金をはたいて最新の商品を取りそろえたり、本来でないあなたを形作ろうとしているのでは?

大丈夫。本来のあなたであっても評価し、一緒に居たいと思う人は必ずいる。まだ出会ってないだけなのかもしれない。