善い人と出会う大切さ

2019年になりました。僕は年は変わったかもしれませんが何も変わっていません。いつものように起き、いつものように食事をし、いつものように寝る。門松も飾らないし、おせちらしきものは頂きましたが、テレビも大学駅伝は観ましたが。あれ?いつもと違うな。年末年始はやっぱり特別な日が何日か続きました。上記訂正します。

 

さて、年始から色々なことがありました。その中で強く感じたことが今日のテーマ「善い人と出会う大切さ」に繋がっています。

仕事上、精神的に辛い、苦しい、といった気持ちを持っている方と出会うことが少なくないですが、共通していることに、

 

「ある一時期に耐え難い艱難辛苦を経験している」

「病み(闇)から這い上がるきっかけがつかめない」

 

の2点です。艱難辛苦(かんなんしんく)とは非常に困難にあって苦しみ悩むこと、病みとは過去に起きたことから精神的に苦しみ、悩むことで日常、社会生活に影響が出ている。またその病みとは「闇」でもあると考え上記のように書きました。上記の2点は誰しもが、とは言えませんが、多くの人が経験することであると考えます。耐え難いことは個人差があり、ある人にとっては何とでもないことでも、ある人によってはとてつもない苦しみになります。客観的に言うことなど出来ず、極めて主観的です。僕もこのような経験をした覚えがあります。小学校の時に受けたイジメです。僕は頭の形がキレイではなく、後ろに少し出っ張っています。小学校の時は頭を刈り上げていたので形が良く分かります。ある日からその頭の形をからかわれ始められました。一度からかわれると人が周りでクスクス笑っているだけで自分のことを言われているようで気になります。先生には相談しませんでした。イジメがさらに悪化すると考えていたからです。そうして言われ続けるうちに学校に行くことが怖くなってきました。寝る前もドキドキして眠れません。明日になるのが嫌だからです。朝起きて平日だと絶望的な気持ちになります。親に言っても取り合ってもらえない、動悸がする、吐き気がする、表情も暗く(近所には普通に振る舞っていた)トボトボと登校していました。いつまでそれが続いたのかは覚えていません。教室でも会話が減り、放課後(授業の合間)に出ていた遊びもあまり行かなくなり、廊下とか、下駄箱近くで座って考えることが増えていたように覚えています。ただ、自分にはバスケットボールがあったんです。部活になれば、いつも通りに練習し、チームメートともいつも通りコミュニケーションをする。バスケが好きだったことが幸いでした。徐々にクラスの連中からからかわれることも減り、承認欲求も満たせ(成績は良い方でした)、知らぬ間に溶け込めていた。僕にとって誰が、何が這い上がるきっかけだったのかはハッキリわかりません。でもバスケがその1つだった。学校の勉強が1つだったのかなぁと。

 

僕が精神的に苦しんだのはこの1回だけではありません。学校を出てからも何回か苦しい立場になりました。そこで手を差し伸べてくれた人たちが居ました。善悪を判断することなくただただ自分の話を聞いてくれ、そしてチャンスを与えてくれました。僕がそのチャンスを生かせたか。心許ないですが、這い上がることが出来たからこそこうしてブログも書けているのでしょう。善い人との出会いがあることで、人は何度でも這い上がれると僕は考えます。善い人の定義はその人その人で違います。ある人にとっては善い人でも、ある人にとっては悪い人かもしれません。善い人も極めて主観的です。僕にとって善い人の定義とは、「価値を押し付けることなく、判断することなく、話をじっくり聴き、這い上がるきっかけを与えてくれる柔軟さを持った人」です。柔軟さ、というのが大切だと思っていて、ある時期にはひたすら聴くに徹することもあれば、ある時期には積極的に鼓舞したり、提案をしてくれたりとその人の心境、状況によってアプローチが変わることを意味します。

僕にとってはこの善い人の定義と逆の方が近づき、攻撃されたことがきっかけで幾度か精神的な危機に陥ったと自覚しています。だからこそ、自分にとって悪い人だと感じる人には距離をとることで自分を守っています。

しかしながらこれは僕が気楽な身であるからこそ出来るのかもしれないとも思います。僕は定職もなく、自営とプラスアルファで生きています。いま学校にいる人、職場に毎日通う人によっては理想論は言えないでしょう。そうした場合には、僕は、上記のことを意識的に頭に置いてほしいと伝えます。悪い人だと思う人にはなるべく距離を置く。善いと思う人と関わる。悪い人ばかりだとあなたが思うのであれば、身を守るために一旦、学校を休んだり仕事を休職したりしたって良いんです。それで困るのであれば選択肢はあります。必ずあります。

こうした学校、職場で悪い人たちに影響を受け、再起不能になりかけるくらいなら一旦、距離をとってください。周りに理解する人が居なければ(親も含め)、行政でも地域の知らない人でも、僕でも誰でも良い。一度話をしてみて下さい。運が良ければ良い方向に向かうかもしれない。でも残念ながらどうしようもない不幸に繋がるケースは絶対に起きます。

 

絶対に、苦しみ悩むことが無くなることはありません。だから僕も多くの人にとって「善い人」になれるよう、もしくは善い人の候補になれるよう、今日話してきたことを啓発し、発信しています。

 

 

※悪い人とはその瞬間、ある一定の時期においてあなたにとって善くない(つまり悪い)人という意味です。何でもそうですが、永遠にあなたにとって善、もしくは悪というのはあり得ないと考える立場です