いいかげんが良い加減

テーマが今日の結論です。これで納得できる方はもう以下の文章を読まなくていいかもしれません。でも「ん?」と思った方はどうぞ最後までお付き合いください。

 

僕は昭和58年に生まれました。生まれたのは名古屋市でしたが、物心ついた時には郊外の蟹江町という場にいました。そこで16年間を過ごしたわけです。蟹江町は名古屋からすぐなのに田畑が多く、田舎臭さが残る町です。20歳で去ってからも時々行きますが、建物は変われど田舎臭いなと良い意味で感じる所です。

なぜこんな話から始めたのかというと、自分を取り巻く環境が34年の人生でも変わってきている。そんな気がするからです。34年以上前の事は文献から、またはその時代を生きていた人から聞くしか分かりません。なのでさほど正確ではないという前提で読んでください。

 

日本社会の「空気」は時代とともに変わってきてきると思います。縄文時代から書こうと思いましたが自分の知識の無さを自覚し、江戸時代から書きます。

江戸の初期は関ケ原の合戦が終わり、血なまぐさい、明日の命があるかどうかの時代が終わったと言われています。260年も徳川幕府が存続したことは事実ですから、各地の大名同士の、また内争もありつつも安定した時代だったのでしょう。江戸時代の中でも後期の元禄には様々な文化が育ちました。小説、俳諧、浄瑠璃など。浮世絵はじめ画も発達した時代。僕から言わせれば豊かな時代だった(平和ボケ?)のかもしれません。しかしながら江戸も末期に差し掛かると海外からの圧力、尊王攘夷、開国主義が交錯し、武力を行使した争いが激しくなったと言われます。結局、徳川慶喜が徳川幕府に終止符を打ち、明治政府が権力を握った訳です。明治になってからは、日本独自というよりも積極的に外(海外)の文化を取り入れ、日本国として殖産興業(工業化)、富国強兵(武力で負けない国)を目指していったのです。この頃の日本はいまの安倍政権と似て、経済力を高めるために外力を利用していたと僕は解釈しています。明治時代には日清戦争、日露戦争という2大戦争も起こしていることから、国力増強のスローガンが色濃かった時代なのかもしれません。

大正時代に入ると、人々は民主化に関心を持つようになったようです。普通選挙を実現させるための運動が出来て来たり、外の文化でも芸術、ファッションといった豊かさに通ずる文化が流行してきます。ただそれも長くは続かず、大正末期には、ソビエト連邦誕生によって、共産主義が興ったことが、治安維持法制定に繋がり、自由な言論が制限されていく時代に入ります。

その後は日本はだんだん鎖国をし、第二次世界大戦、敗戦となります。戦後はアメリカの制作に取り込まれ、米国文化が流入、経済成長こそ豊かさだと言わんばかりに、日本全体が物理的飽和状態になるまでモノを作り、とうとう親であるアメリカの経済力にも肉薄するくらいまでになった(ロックフェラーセンター買収などアメリカ資本を買い占め始めた)のです。そして土地バブル崩壊、リーマンショック、少子高齢化、医療・介護費の急増、国家破たんへ向かっている最中、というのが現在です。

 

ながーく江戸時代から振り返ってきましたが、ザックリと名づけると

・江戸時代(元禄以降特に)→独自文化。細やかさ、職人の時代

・明治時代→重厚長大路線の初期。権力者による国の支配時代

・大正時代→民主化運動、国から個人の豊かさ(文化・芸術)の時代

・昭和初期~戦中→国力の増強、世界からの孤立、思い込みからの戦争の時代

・戦後~土地バブル崩壊→重厚長大路線の最盛期。物理的豊かさへの妄信時代

・現在→物理的豊かさの享受と虚しさ、加速度社会、精神病濫造、豊かさ再考の時代

 

とさせてもらいます。

こう見てみると、国と個人(地域)のどちらに比重を置いているか、その間を行ったり来たり歴史は繰り返しているように見えます。

これからの時代は僕が考えるに、元禄文化や大正デモクラシーが起きた、個人へ、そして地域へと主役が移ります。戦後に物理的豊かさへと猛進(妄信)してきた人たちを僕は肯定も否定もしません。それがその時代の空気、色だったんです。今は彼らが創ってきたモノでありコトを費消し、そこから創造をしています。僕は物理的な豊かさは十分だと考える立場です。いま職場で、学校で、地域で虚しさも拡がっています。物理的豊かさは来るところまで来たのに、なぜ自分の暮らしがラクにならないのか。支払いに追われる、カネに振り回されている。これは物理的豊かさの末期に起こることと考えています。右肩上がり、給料が倍倍ゲームのように目に見えて増えている間はそんなこと考える必要は無かった。物価も上がるが、それ以上に給料は上がる。借金したって返せる。社会の雰囲気も、まさか経済成長がマイナスになるなんてあり得ないとなれば、消費は、投資は積極的に動きます。

でもそれは終わった。それも30年以上前に終わった。そこに囚われている人たちがカネに振り回されている。そう感じます。

現在では、そうしてカネに追いかけ回される人たちが未だにいるのと同時に、身の丈にあった、そして自分のやりたいことをささやかではあるが実現し、精神的豊かさを享受している人たちも増えています。その人たちに共通していると僕が思うのは「いいかげん」であることです。

いいかげんは言葉としてあまり良い響きでは無いですが、五木寛之さんがいいかげんは良い加減と言われているのを見てハッとしたのを覚えています。

 

人生いいかげんで良いんです。自分が万事いいかげんかと言われればそうではない。クソ真面目な一面もありますが、めんどくさい、まぁいいや、あとでやろ、(結構暇なのに)いそがしいと言ってみる。そんなことが30歳をこえて増えました。大きな組織の一員であれば誠に頼りない、かもしれない。でもそう思われる場所から逃げる、自分の独自の文化を創る。おおげさに言えばこの文化を創っていくことがこれから求められている、というか僕は豊かさに通ずると確信しています。

いいかげんであるからこそ、隣人を許せます。だって自分も人のこと言えなくなるので、まぁいいかとなります。締め切りが過ぎていても返事がなくたって、まぁあの人いまはやりたくないんかな、まぁいいかとなります。

 

いいかげんな人たちが増えれば笑顔は増えます。生き方がいいかげんな人たちが地域を再興していきます。いいかげんな人たちが増えれば仕事が増えます。いいかげんなので、隙間が沢山できるからです。いいかげんな人たちが仕事をすれば生活保護が増えます。最低限度に稼げない人たちが増えるからです。でも彼らがいいかげんになれない場から離れて精神的に病むことが無くなれば、身体を壊さなくなれば、国の医療費はグッと減ります。生活保護費が膨らんでも、それ以上に医療・介護費が減ります。いいかげんな世の中になれば、モノの豊かさは減ります。でも海外から外国人がたくさん来ます。日本が楽しい国だと口コミで広がります。いいかげんな人が増えれば僕の仕事(ソーシャルワーカー)が無くなります。地域での困りごとはお互いさまと思い話を聞く人が増えるからです。自分の職業が無くなる日が早く来れば良いと本気で考えています。