人に期待しないこと

今年も色々ありました。

その中で、一番言いたい事は、このテーマに集約できると思います。

 

僕は今年34歳になりましたが、ようやく齢30を越えたあたりから分かり始めてきたことです。そうは言っても「人に期待しないこと」は簡単な事ではありません。社会の中で生きていれば、人との関係は絶対に絶てないものだからです。時として、人に期待を寄せてしまうことはあります。「こうあってほしい」、「こうなってほしい」と。それでも、その期待は裏切られることが少なくありません。

 

なぜ人は他人へ期待を寄せてしまうのか。

 

結論から言うとそれは、あなたのペースに、あなたの思い通りにさせることで、自分が不快な状況に陥いることなく、快な気分を持てるようにする1つの防衛本能だからです。

例えば、コミュニケーションの中で相手に同意を求めることがあります。私も良く使うのですが、「〇〇だよね?」という言葉尻。癖で使っているのもありますが、無意識に同意を求めているのも確かです。そこで相手から「そうですよね」とか「その通りだと思う」と返ってくれば、あなたは気分良くその場を過ごせます。しかし、「いや、そうは思わない」とか「違う」などと言われれば、あなたは気分を損ねることになります。きっと私も気分は良くはならないです。

 

言葉のキャッチボールだけでなく、動作でも相手に期待する行動をとる時があります。良かれと思って、前もって段取りしておくことです。そこで相手が「ありがとう」とか笑顔で対応した場合には、あなたはニンマリするでしょう。しかしムッとしていたり、時に怒ったりされた日には、あなたもムッとすると思います。

 

 

この言葉、動作で人に期待したことで、あなたはそれを行う前よりも傷を抱えてしまったことになります。だからといって、そもそもあなたがそんなことをしたことが無駄だったとも私は言うつもりはありません。その前提条件として、私は「人に期待しないこと」を挙げます。以下、説明します。

 

 

ケース1:あなたの行った言動が相手に受け入れられた

期待していた場合:あぁ、良かった!

期待していなかった場合:(期待していなかった分、余計に)良かった!

 

ケース2:あなたの行った言動が相手に受け入れられなかった

期待していた場合:何でそうなるの?良かれと思ってやったのに…(と心に傷を負う)

期待していなかった場合:そうなんだ。十人十色だからしょうがないな。

 

となります。

どちらが良いでしょうか。私は期待しない方が良いと考えます。なぜなら、ケース1、2のいずれにしても、期待した場合には余り良い効果はあなたに期待できません。ケース1が続いた場合には、あなたの中で、相手に何かしてあげることそのものが「快」になります。それが強くなると、相手の気持ちは関係なく、自分が気持ち良くなるためにやってあげるようになります。相手にははっきり言ってありがた迷惑になります。こうして強引に人の世話を行う方、周りにいませんでしょうか。

ケース2が続けば、あなたは心にしこりが残り、場合によってはトラウマに発展するケースもあります。相手が自分と違うことを認められずに続けた結果負ってしまった傷です。

 

そして最大の問題は、言動の責任所在を相手にぶつけてしまうことでしょう。ケース1で期待していた場合には、あなたが勝手に行ったにも関わらず、あたかも本人が希望したのごとく行います。なので拒絶された場合には、「何で拒否するんだ!」と相手に責任を押し付けかねません。ケース2に場合も同じような理屈です。

 

多くの方がこうした負のスパイラルにはまり込んでいるようです。

 

 

最後に、私が人に期待しないことというのは、相手を突き放している訳ではなく、むしろ逆なんだということを述べたいと思います。

私は、人が行うことに大して期待はしていません。こうすれば良いのにという「自分の意見」は持っています。結局それは、相手の行うことへの自由を尊重しているからに他なりません。人は自由に考え、判断し、実践するが故に人でいられます。その代わり、自分が決めたことには大きな責任が伴います。自由は責任が伴うのです。

その自由を謳歌してこそ人間なんだ!という私の人生哲学があるからこそ「期待しない」のです。

 

来年も私は人にきっと期待しないと思います。それでも人は好きです。人種、宗教、信条、言語、何が違っていたとしても、人が好きです。だからこそ、ソーシャルワーカーという仕事は面白いんだろうなと感じます。来年も沢山の人に出会い、楽しめれば、私の人生は良い人生だと言えるでしょう。

 

今年出会った方達にこの場を借りて感謝の意を示したいと思います。皆さん、良いお年を!