造られた流行に追われる人々

今日は上記のテーマでお話したいと思います。

 

私は”流行”が昔から嫌いです。本当に小さな頃から嫌いだったというのがハッキリしているのが、東京ディズニーランドを一度無理やり連れて行かされ、吐き気がする思いをした。また世界各地も多くの雑誌が、みんなが行くべきという所には出来る限り行かない。ただの天邪鬼にしか聞こえないかも知れませんが、誰がが、何かが言っていることに妄信しない質(たち)でした。

 

今であれば流行に乗りたくない理由は言えます。それは誰かがおカネを儲けるために仕掛けているからです。例えば今年の流行カラー。誰が言い出したのか?私は以前、繊維会社に少しだけ在籍しましたが、そこのデザイナーの方が言っていました。「色の流行は前の年に既に決まっていて、業界で大プッシュしていく。すると流行として皆が認識をする」と。私が現在関わっている精神医療の世界では製薬会社が流行を決めます。製薬会社で新薬が発売されれば、MR(医薬情報担当者)がクリニックや病院へ行き、薬の説明をします。大営業をかけ、どうしたらこの薬が保険で通るか、どのような素晴らしい効用があるかを熱烈に医師に伝えます。副作用は伝えず主作用と保険適応の処方方法、裏道(こうしたら沢山処方できる等)を一生懸命に宣伝します。すると医師はそんなに良い薬なのであればということで、自分の患者に処方をしていく。こうしてドンドン処方量が増え、製薬会社が儲かる。そんな仕組みです。

私は二拠点居住で都市部(主に名古屋)と農村部(下呂の山奥)で生活を送っていますが、どこへ行っても造られた流行を追いかけている人たちでいっぱいです。

 

都市部では名古屋市栄に行けば、催し物のオンパレード。デパートはじめ流行に乗らないと時代遅れになると言わんばかりに人々の不安を煽り、購買意欲を駆り立てます。人々は親切心で語りかけてくるのではありません。あなたの持っているお金が欲しいのです。

農村部は、はじめ行きかけた時には都市部のような造られた流行などほとんどないのでは?と思っていましたが、むしろこちらは数は少ないものの、1つ1つが深刻です。例えば公共事業はじめ開発・発展こそ田舎に求められているものだという信仰。もうほとんど病気です。1日にほとんど車が通らない道をピカピカに舗装する。川の生き物がいなくなってしまうのに、河川工事と称し、川底を浚渫(底の土砂をかきだし流量を多くすること)して形状を変えてしまう。生態系は変わり、川底の生物は死滅します。その結果、上位の生態系である魚がいなくなります。現在の飛騨の川のほとんどは琵琶湖やその他の養殖されたアユなどの稚魚を放流しています。

また田舎の深刻な造られた流行への妄信ですが、その工事を取り付けてくれる政治家への妄信です。都市部は政治そのものに関心が薄いのでそれはそれで深刻ですが、飛騨地方の自民党信仰は深刻です。所得倍増計画を発表した池田勇人元首相から始まった全国総合開発計画が地方の開発ブームの先駆けですが、そこから湯水の如く全国の土木工事におカネがつぎ込まれました。人への投資などそっちのけで、物、特に道路や建物への投資に夢中になりました。人への投資を怠った分、人々は自分の頭で考えることを忘れ、寄らば大樹の思想を身に付けました(私は、当時の自民党は国民を痴呆にさせることで自分たちの政権基盤が安定すると考えていたのではないか、と考えています。本当にそれを狙って今があるのであれば、彼らは恐るべき策士です)。何が正しいか間違っているかを考えるのではなく、誰が偉いか、誰に付けば自分が儲かるかだけの損得勘定に終始した結果、いまがある訳です。

 

今回はごく一例を挙げたまでですが、造られた流行にのることはどのような弊害をもたらすでしょうか?

 

まず自分で考えなくなります。そして自分で何も創り出せなくなります。経済の基本ですが、経済活動は3つ形態があります。

①お金を出して手に入れる

②自分自身で作る

③きっぱり諦める

です。

①は現代で一番多くを占めている経済活動です。それが出来なければ②または③を選ぶことになります。しかしながら造られた流行にのるためには①を実現するために働いて賃金を得なくてはいけません。そうすれば②の時間も確保できないですし、賃金を得て①を実行するうちに、③のように諦められなくなってきます。こうして現代の精神病理の1つである欲望へのあくなき執念が加速することとなります。

②は時間がかかりますし、①よりも質の面で落ちると思います。しかし、達成した時の喜びは格別です。自身の例でいくと野菜作りです。野菜は1日では出来ません。数か月、下手したら1年近くかかる作物もあります(今うちで作っているものに3年かかる作物があります)。そんなものがスーパーに行けば一瞬で手に入る訳ですが、②の機会を失うとも言えます。②をするための時間を①を実現するために稼ぐ時間に充てる訳ですから。

 

今日、独協越谷病院の精神科医である井原裕先生の書籍を読んでいました。彼は日本でもっとも薬を使わない意思を自認しています。薬を使わない理由として、うつ症状や不眠、不安を訴える人々の多くが睡眠時間を確保できていないことが問題であると考えているからです。週50時間の睡眠時間確保をもっとも重要視されており、現代の社会構造がそれを困難にしていると述べています。この話を出したのも、造られた流行に追われる人々と無関係ではないと確信してのことです。流行を追い求めれば、流行に乗り遅れないように働き過ぎることで睡眠時間を削り、やがて精神科を訪れることになるかもしれません。

 

 

今日の話が何ともまとまりがありませんが、皆さん、人が造った流行を追い求めるのはもう止めませんか?今日お話したなかで言えるのは、全国どこへ行っても造られた流行が存在することです。皆さんに求められているものは流行と一定の距離を置いた上で、自分の意思を邪魔されない程度に付き合うという姿勢ではないでしょうか。今一度、自身を振り返り、考えて頂きたいものです。