最近、テーマに掲げたことが私の頭に良く出てきます。この文章の結論を言いたいと思います。
「人生、自分で何とかしていかなければ他人は何もしてくれない」
ということです。
この文章を書くのは非常に辛い面もあります。現実的すぎるからです。それでも書かなければという思いに駆られ書くことを決断しました。
私たちは自分の意思を持たずしてこの世に生まれてきました。全員そうだと思います。親も選べませんでした。国も選べず、時代も選べず、性別も選べず、何も選べずして母親の胎内から出てきました。不思議な事です。
そして幼少期から学業期にかけ、自分の意思は小さい範囲では利きますが、大きな流れには親という存在が大きくはばかります。20歳までは多くの方は自分の意思は親の意思であったのではないでしょうか。
皆さんがようやく自分の意思で考え、動き出せるようになるのは成人し、自分で生計を立てるようになってからです。早い方は20歳から。大学を出た方であれば23歳から自分の意思で生きていけるようになります。それでも自分の意思で動けるようになったと思っても、抱えるものが出てくれば自分の意思で動けないようになります。結婚、仕事、出産、親の介護、貧困、病気、老い・・・
こう考えると私たちは自分の意思だけで動くことが実は人生でも僅かばかりなのではないのだろうか。こう考えてしまうのです。私も家族があり、仕事に縛られ、お金の制限もあります。
皆、思い通りにならない部分を背負いながら、それでも自分自身で考え、判断し、実践をし、生きていこうとします。実はこれが難しい。そう思います。
他人に物事を考え、判断し、実践をすることを委ねてしまっている方の何と多いことか。人間は弱い生き物です。独りでは生きていけない。傷ついて動けない時には誰かの助けが必要です。「お互いさま」という言葉は私が大好きな言葉の1つです。それでもずっと助けを得ることは出来ません。貴方がずっと助けを得られているのであれば、それは「カネ」の力です。貴方のために無償の愛を差し出してくれる方はいません。世の中を見渡してみて下さい。お年寄りの介護一つとっても介護は「無償の愛」などではなく、「有償の産物」です。
だからこそ貴方は一人で立ち上がり、再び歩きはじめるしかないのです。お金で買った助けは、貴方に虚しさを残します。買うなとは言いません。どこか虚しさが残ることは心に留めておいてください。
それでも私は互いに助け合うシステムを創りつつあります。それだってずっと助けを得られる仕組みではありません。助けられたら助ける仕組み。恩返しではなく恩送り。
人は思った以上に貴方に何もしてくれない。このことを認識する所から自立は始まると思います。