今年1年を振り返って~就労支援事業を中心として~②

今日は前回の続きという訳ではないが、働くことについてもう少し掘り下げていこうと思う。

 

昨日ふと下呂から名古屋に戻る途中で浮かんだ言葉があった。

 

「お金を稼いで初めて1人前になれる」と。

「本当に?」と僕の頭の中。

「1人前ってどういうこと?」と彼に聞いてみると

「稼ぐことが出来れば、家賃も払えるし、食事も着るものも何でも買うことが出来るようになる」と。

「でもそれって依存してることになりません?」

「??」

「だって稼げば稼ぐほどお金に頼る。つまりお金で他人の時間を買い、商品を手に入れるので自分の力でやらなくなるので依存する割合が大きくなるじゃない」

「・・・」

 

こんなやり取りが頭の中で30分くらい問答を繰り返していた。

そういう考え方もあるなぁと改めて感じた。良く言われる教訓?はむしろ逆なのでは?と。

 

堀江貴文さんが何年か前に言っていた

「お金で何でも買える」

というのは本心で言っていたのであろうか。もしそうであればおめでたい人だ(彼はスマートな人なので本心で言ったのではないと思う。または前提条件があった上<例えば平和であること>であると思うし)。

 

就労支援事業ではそこを伝えていく・実践を通して学んでいくことも含まれている。

お金は現代で不可欠だ。なぜなら国・県・市町村などから税金として搾取する仕組みが出来上がっており、物納(コメとか労働をカネの代わりにする租庸調)は出来ない(相続税は物納可能だが)。でもなぜ物納が出来ないのだろうか。そこを考える必要がある。

そこはカネの役割を考えてみることが必要だ。カネには3つの尺度がある

 

①価値の尺度

②交換の尺度

③価値貯蔵の尺度   である。

 

①は物に値段を付ける際に100円や200円など価値を測るものがあれば人々は取引が円滑になる。②は交換をするのに便利な事。バーター取引(物々交換)は互いが互いの欲しい物と同価値でないと成立しないがカネが媒介することになりそれが可能になる。③はカネは腐らない。野菜は腐ってしまい価値がなくなるが、カネであれば半永久的に保蔵される。

 

これを考えると行政が物納をすべての面で可能にしてしまうと、

①物納される財に関して、いちいちその価値を測る作業が必要

②それを行政が行うのは難しい

③交換が困難な財を引き取ってしまい、またその財を補完する場が無い

④保存できないもの(野菜)で引き取ると腐る等、時間と共に減価する

 

こんな面倒くさいものは引き取りたくない。カネでもらえば良いとなった。これが純化、進展した形が資本主義経済が行きつく所、日本でありアメリカであるわけだ。カネを蒐集(かき集める)することこそが大事な世界。カネを持っているのが偉い、尊い。こんな具合に。

 

要は冒頭に出てきた頭の中のやり取りは、資本主義経済にどっぷりはまった人たち(多分、世の中の人たちはそれほど真剣に考えたこともないのだろうけど)による助言に過ぎないという訳だ。

資本主義経済については全面的な否定はしないものの、その制度が純化・進展した時に起こる負の作用については先のブログで指摘してきた通りで、人生の中で各々がカネを蒐集すること自体を目的にしてしまい、その先に何もない、そんな空疎な空虚な実情が蔓延していることはゆゆしきことだと思っているのだ。

 

後藤新平は

「財を遺すは下

 事業を遺すは中

 人を遺すは上なり

 されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」

 

と言われたそうだ。カネを残すのは下(良くない)、事業を残すのは中(そこそこ)、人材を遺していくのは上(良い事)だと。ただカネが無ければ事業は持続することが出来ず、事業が無ければ人が育っていきにくいとも。

こうした部分が私が資本主義経済を全面的に否定しない理由である。私自身事業をやり、ボランティアなどで絶対に出来ない。やるつもりもない。お金は絶対に今は必要だ。それでも、それは人材を輩出していくために使っているつもりだ。障害を持った方でも土俵(健常者が創り上げた社会)を自分の好きな事、得意な土壌にあがることで健常者が認め、互いに切磋琢磨し、社会を良くしていける可能性を持っている。ただその中でもカネが中心に来るのではない。カネはきっかけ(手段)に過ぎず、目的は世の中を善い社会に変えていくことにある。それは各々が考えれば良いことだ。自分であれば就労支援事業(今後色々やっていくけど)を通じて、欝々としている人が足を踏み出すきっかけになる足場を創っている。

 

彼らには資本主義をカネの蒐集と勘違いしている人間の助言である

「お金を稼いで初めて1人前になれる」

などは聞く耳を持たなくともいい

「お金を稼ぐことを目的にすると人生を見失う」

という助言はしたい。

 

カネは人の時間を買い、欲しい物を手に入れる行為。人の時間を買うすなわち人に依存している。依存を減らすには自分で作るか、欲しい物を諦めるしかない(私のかねてから言っている「3つの経済」のこと)。なのでお金を稼いでも独り立ちはおろか依存する割合を高める(働いている間に自分で出来ることがさらに減っていくから)。

そこのところ良く考えて働くことをしてみてはいかがでしょうか。

 

一度皆さんも働くことについてお金という視点から考えてみてはどうでしょう。