今年1年を振り返って~就労支援事業を中心として~ ①

あと25日ほどで2016年が終わろうとしている。今年は色々と挑戦する年であった。

 

1月に法人を設立。5月に岐阜県より障害者就労支援事業の指定を受け、6月23日より就労支援事業を開始、9月には精神医療被害者の会に参加・協働していくことを決め、同じ月に山之口区で月刊ちきりむすひ(広報誌)の発刊、やまのくち料理研究会の月1回の開催。そして12月からは精神障害を持った芸術家と芸術を下呂市で深めていくための活動を始めている。

 

僕のようないい加減な、飽き性であって自分の好きなことにしか関心を向けない自分勝手な人間でも何かしらの旗を上げれば、それを必要と思う人たちが集まり、協働していくことが出来ることを証明できたのは大きいと考える。自分自身も自信に繋がった。

就労支援事業で行う仕事自体も、自身の就労支援へ関わった経験・疑問から創られたと言える。僕の事業所では農業を中心とし、自給農業を学べる(土づくりから始まり施肥、除草、種まき、植え付け、収穫、次の栽培への準備、農機具の扱い方など)、インターネットを使った発信方法、販売方法を学んでいける点が特徴的だ。

 

僕が取り組んでいるのは就労支援でも「B型」という種類で、障害者が就労経験を積んでいくものには就労移行支援、就労継続支援A型、就労継続支援B型の3つがある。就労移行支援は一般的な企業に就職を目指す方へ、A型は一般企業への就職や最低賃金以上で働けるので収入がより多く欲しいが障害の理由によって一般企業で働けない方、B型は最低賃金での雇用をする訳でなく「利用」をし就労のステップとしてまず職場に来ることを目指す方、障害が重く最低賃金ではとても働けそうにない方、年齢が50歳以上で雇用の見込みがないが、少しでも収入が欲しい方などが利用すると分けられている。

 

なぜB型事業所に僕はしたのか?それには主に2点ある。

1点目は自給農業をじっくり学ぶ・働くのに資本主義的な考えが当てはまらないことだ。農協が進めている農業(耕作機械などを買わせ、化成肥料を売りつけ、会員にはカネを貸し、代行販売を行うなど)は農業ではない。工業である。生産計画や機械を積極的に導入し、同じ顔の野菜を決まった数量作ろうとするのは工業以外の何物だろうか。そこを真似してしまっては自給農業ととても呼べない。そうではなく、堆肥づくりを自然の物から作り、来春にそれを投入、鶏糞など有機の肥料を用い、機械は最低限の使用に留め、季節に応じた野菜を作る。これが自給農業の基本である。これに経済性などない。

自給農業は必ずしも就職に結びつけて考えている訳ではない。就労をしに来る障害者の中には子供時代から今に至るまで、「自信」を付けてくる、つまり「経験」を積む機会が無かったか少ない方が多いと感じる。経験を積むことで人は逆境にも耐えていけると考えるが、その最も有用なのは自給農業だと思う。都市ではほとんどの人たちが生きるためにモノを作ることを忘れてしまった。生きていくのにはどうでもいいものを売り、買い、優越感に浸っているつもりだが、生存条件である食料を作ることを放棄してしまった。ヒトは自分で生きていけると自信を持つことで、初めて外の世界に飛び立てる。今の人たちは就職し、カネを稼げば1人立ちできると思い外の世界に飛び立っているが脆く儚いものだ。なぜかと言えば、就職した先で自身が何のために働き、何のためにカネを稼ぎ、自分がどうなっていきたいのか、どうなっていくのかが想像しにくいシステムが資本主義経済だからだ。

イギリスの産業革命以後、急速にリカードの提唱していた比較優位な貿易システムが確立し、各国は自分たちが比較的作るのが上手い商品を作り輸出し、不得意なものは輸入するようにした。食料を輸入し、自動車を輸出している自国を見れば分かるだろう。

そして自国内でも得意なことに特化し、専門分化が極端に進み、多くの人が自分の仕事の分野でカネを稼ぎ、それ以外は他人の作ったものをカネを出して買うことで依存しあう社会を創り出した。

この社会では自分が行っていることがどう社会に結びつき、誰のために貢献しているのかが見えにくい。例えば自動車部品をひたすら検品している仕事はそれがどこに使われて、誰がその自動車を買って、自分はどう社会に貢献できているか、喜びを見つけることは困難だし、経営者からはそれを考える間があれば1つでも多くの部品を作る様に指示されるはずだ。「効率」こそ資本主義経済の根幹なのだから。

自給農業ではそうした喜び・自信を深めることが出来る。自分が手を掛けたものは収穫時に答えを野菜たちがくれる。それを自分の食べる分、他に譲る分は販売する。そこから出た収益で次の種を買うなりする。自分が作ったもので喜ぶ人がいることが分かり、自分でも出来る自信がつく。この積み重ねを経験と呼ぶ。

作った野菜はインターネットでも販売できる。インターネットで販売する土台はどう作るか、どうやってアピールするのか?など。これも学ぶことが出来る。この延長線上は自信がつけば、自分で興味ある分野を掘り下げていくことで飛び立っていけるだろう。

 

2点目が、経済的自立には段階をじっくり経る必要がある方が多いことだ。経済的自立とは実はすごく高度なことで、その前には「日常生活自立」そして「社会生活自立」、次に経済的自立がある。

日常生活自立は、一通りのことが支援を受けるのを含め1人で何とかやっていくことが出来るか、である。洗濯や食事を確保することがままならないのにお金を稼ぎたいというのは無理である。そこが支援を受け、何とか1人でやれるのであれば別だが。そして日常生活が何とか出来るにしても、社会生活が1人で送っていけるかがある。社会生活とは地域の方との関わり、郵便局へ行ったり、行政で手続きが出来たり、病院に具合が悪ければかかったり・・・社会サービスとの接点が自身で出来るか。これも支援を受けて何とか出来るのであればOKだ。次にようやくお金を稼いで、または自分でものをつくっていく経済活動をする段階になる。

ここの段階まで来ている方は意外に少ない。食事から何まで人に依存している。永続性があるものであればそれに依存し続けられるのであればそこに頼るのは1つかと思うが、永続性が担保されているのは自分自身だけだ。家族もいつかは死ぬし、社会サービスも制度が変われば無くなる。だから1人で出来る限りやっていく力を身に付ける必要があるのはそういった意味である。

この経済的自立のスタートラインに立てるまでにはっきりは分からないが1年以上はかかるのではないだろうか。だからこそじっくり取り組む必要のあるB型であるべきなんだと考えている。

 

今、事業所を利用している方は6名いる。半年間で6名の方が集まってきた。

上記の自立要件を鑑みて6名を分けると

・日常生活自立段階・・・2名

・社会生活自立段階・・・3名

・経済的自立段階・・・1名

と分けることが出来る。

 

焦らない事、人と比較しない事、自分を大切にすること。これが一番大事だ。

2017年はこうした方の幾人かが経済的自立を経て事業所を飛び立っていくことを願っている。B型事業所は一生いる場所ではないし、そう思っているのであればその考えを変えてほしい。ここから出て行った人たちが、その時に困っている人たちを今度は手を差し伸べる側になれば、世の中は着実に良い方向に進む。願わくば彼らが自給農業+αの仕事を見つけてほしい。