農的な地域のつながり

今回のタイトルは農村で行っている障害者就労支援事業、高付加価値野菜の生産・販売事業に関して事業所のある10月度山之口区回覧に付ける会報誌のテーマと同じである。その内容に字数制限も緩いこちらにて加筆をした次第である。

 

まず私が活動している農村(下呂市萩原町山之口)で取り組んでいる2つの動きについて述べさせて頂きたい。

 

1つ目はやまのくち料理研究会である。これは山之口区で採れた野菜を今までと同様の調理法だけでなく、より美味しい方法で食べるためにはどのようにしたら良いかと参加者で研究をしながら楽しむ会である。前回は私の事業所で沢山作っているスイートバジルを活用し、バジルペーストを作った。ここでフランスパンにバジルペーストを塗るとパンの塩気でより塩気が引き立ち濃い味になり、一方パスタに和えると塩分が若干足りない感じがするが、鶏肉やクラッカーにはちょうどいいということが分かった。つまりつける材料によって濃く感じることもあれば薄く感じることもあるというのが研究の成果である。

 

もう1つは地域の農家さんに高付加価値野菜の生産を依頼し、生産交流していく取り組みだ。今春に近隣の篤志農家さんと話をし、飛騨の赤かぶに蒔き時、生育方法ともに似ている赤ビーツを盆過ぎより作って頂くようになった。実際に作って頂いている様子を覗くと見事な出来栄えだ。さすが半世紀も農業に携わってきた方だけありツボを心得ている。勿論、今まで作ったことのない野菜を作って頂くことにより新たな挑戦をされ、遣り甲斐を持たれることも期待しているが、それ以上に山之口区で作る野菜を二束三文で農協等に卸し、濡れ出に粟状態の農家さんに少しでも付加価値の付いた野菜が売れることに気付いてもらい、経済的な見返りから遣り甲斐を持っていってもらうことに主眼を置いている。私自身そうだが、1つ250円もするアロイトマトや1つ1500円もするセロリアックなどが売れ、美味しいよと言って頂くとダブルに嬉しい。これは私だけで経験するのは大変惜しいことだ。

 

 

以上2つの取り組みには「農的な地域のつながり」という共通項があることはお分かりだろうか。私は「農的」というのが重要であると考える。前者の料理研究会は山之口区で採れた新鮮な野菜が交流のきっかけを創り出しているし、後者は高付加価値野菜が地域の農家さんと私を繋ごうとしている。

「農的」であることを重要視する理由としては食べるものは皆が必ずしなければならない生理的欲求であるからだ。これが高度経済成長期の地方では「工業的」なものが誘致され、雇用を生んだが、つながりを生んだであろうか。否、工業は死んでいるものを加工・生産・出荷しており、無機的なものである。「農的」なように生きた、有機的なつながりを生まない。「工業的」なものは日本で作ることが割高になったら無くなってしまった。残るのは残骸だけだ。「サービス的」なつながりも一過性で終わるだろう。なぜならそれは、生理的欲求ではなく承認欲求や自己実現といった高次の欲求を満たすもので全てのものが必要とするわけではないからだ。

 

全ての人に関わる「農的」なつながりは、地域をつなげるには無理のないものであると思う。今後この動きはどのようになっていくだろうか。正直分からない。けれども蓋然性の高いシナリオとしては以下のように私は考える。

 

料理研究会に関しては、地域の女性が山之口区で採れる野菜の美味さを改めて認識する場になる。そして研究を進めるうちに、自分たちが個々で作っていた方法以外にも美味しく食べる方法を共有するようになる。参加者の何人かは山之口区で週に何度か惣菜を作る取り組みを始めるかもしれない。それは区をあげての特産品化、ブランド化(私はこのような取り組みが大嫌いである)というよりかは、山之口区で採れたものを自分たちの手でより美味しく、それを発信していく楽しさに気付くことに非常に意味があると考えている。女性が前のめりになった地域は本当に面白い。全国の市区町村を今まで回ってきたが、女性陣が元気な街はワクワクするし、魅力的な地域が多かった。山之口の近くで言えば隣の馬瀬地区(旧馬瀬村)である。ここは主婦で店を切り盛りしている拠点を有する。毎週顔を出すが皆元気で良いなぁと感じる。確かにここよりも経済的に成功している地域は知っているが、無理をしていない感じが良いのだ。山之口区も私が音頭をとらずとも自然に女性たちが集まり料理研究会をしていくように、もしくは派生していけばこの取り組みは成功だと言える。

 

また高付加価値野菜の生産を地域の農家さんにお願いする事に関しては、今秋にさっそく赤ビーツをイタリア料理店、ネパール料理店に出荷していく。大根やほうれん草を出すよりも単価が高く農家さんは驚くと思う。種代どころか、必死な思いをして土づくりをし、種まき、間引き、中耕、施肥、雑草取りを経てようやく収穫の過程が報われるようになるかもしれない。もしそうなれば、来春は何を作ればいいのかという話になってくる。毎週、名古屋へ定期的に個人宅へ配送しているので、そのための野菜をもっぱら山之口区で揃えることが出来るようにする。農家としては確実に依頼を受けた野菜は換金される。今年もそうだが農協より高く買っている。道の駅へ出すよりもだ。山之口区で野菜の生産量がよりまとまってきたら出荷先を増やせる。大きく増やすことは考えていないが、都市と農村を結ぶルートを私が持っているので、野菜作りに農家は注力することができるだろう。そして大切にしていきたいことが有機農法で地域の資源を生かしていく方法を考えることに加え、地域の在来種をもっとアピールしていくことだ。在来種とは、地域で育て種取りしを毎年繰り返し、地域特有の味・形をした野菜のことである。オンリーワンの野菜である。山之口区では秋ささげと、エンドウとエゴマ、落花生、青唐辛子を在来種として続けている。この活動が行きつく先は、地域として哲学を持った野菜作りになることだ。色々な哲学を持った地域があって良い。誤解を恐れずに言えば、「うちは化学肥料を使い、確実に形を整えていく農業です!」と謳う地域があっても良いし、「うちは自然農法で姿形はバラバラですが味は確実に美味いです」と謳う地域もあって良い。消費者も消費するだけでなく、応援している地域へ出向き、自分で時々畑を耕し、農家の話を聞き、改めて自分の食べている食物の出来かたを学ぶ。これは本当にワクワクする。

 

さて、農的な地域のつながりはこうして進んでいくか・・・恐らくそうではない。が、このようになっていけば、都市と農村がお互いを認め合いながら部分的ではあるものの共生していくこととなる。都市だけでも、農村だけでも日本は成り立たないし、どちらかが無くなったら詰まらないだろう(私の私淑する中島正さんは”都市を滅ぼせ”という著書で都市は自然と滅んでいくことを分かりやすく表現しているが)。

きっと過疎地域から豊かさが再び見直されていく意味を、これを読んでいただいた方には分かってもらえるのでは?と淡い期待をしつつ結びにしたい。