田舎の止まった時間

今回のテーマを選んだ理由。そもそもこのテーマの意味から説明する必要があるだろう。

 

田舎の止まった時間。私が今回、お盆に障害者の方を1人で家で過ごしてもらった際に出てきたキーワードだ。

 

僕は平日は様々な障害を持った方と同じ屋根の下で住んでいる。彼らと住むことは、他の「健常」という枠組みで生活している方と何ら変わりはない。やれることは各々がやっているし、やれないことがあれば多少手を差し伸べる、その程度だ。これは僕の性格と価値観によるものだと思う。僕が障害者の立場であれば出来ることにあれこれ指図をされたくないし、余計なお節介を焼いてほしくない。鬱陶しい。それを逆の立場になって考えてみると、鬱陶しいだろうなと考え手を出さない。手伝ってもらっていいと言われれば(ほとんど言われないが)出来る限りのことはする。

彼らはそれで良いと思っているのか悪いと思っているか、それは分からないが、1人で生活していくことは生きていくためには経験するべきだろう。ヒトは1人ぼっちでこの世に生まれ、1人ぼっちで死んでいく。1人であることは生きていく過程でも出てくる。

 

さて、今回地域で随分色々と言われたことが障害者を1人で3日間過ごさせた是非だ。その方は統合失調症で7年近くを精神科病院で過ごし、先々月に私の住む家に来て一緒に飯を食ったり、話をしたりしている。精神科病院には言いたいことは沢山あるが、基本的な日常生活動作(専門用語でADLと言われている)はかろうじて自立だったが、応用的日常生活動作(食べる、移動などの基本動作を組み合わせた応用動作を指す。IADLと言われる)は出来なくなっていることも多い。例えば食事を作ること。材料を買い、献立を立て、食事を作り、食べ、片付ける。この一連動作が食事をすることだ。そのほか、金銭管理も自信がない、役所へ行って手続きも分からない等。こんなことは精神科病院が精神治療をした後は、生活動作を喪失しないように福祉にバトンタッチするべきなのだ。ここの精神科病院の罪深さを感じる。家族が望んだという理由は理由にならない。

彼のレベルでは食事を食べられる環境を準備すれば十分に生活を出来るレベルと判断した。何か困った時には電話の子機を彼の部屋に置き、掛けるまたは受ける練習も何度かし、私の電話番号以下、必要な連絡先を大きく書いて渡した。彼にはそれが理解できる能力がある。

 

ただ、お盆が終わり彼が無事に過ごせたことを評価する声はなく、むしろ自分に対する無責任さを主張する声がほぼすべてだった。

近隣のレストランにも彼は直線距離で150メートル歩いていくだけで、何度もお茶しに行き、お盆休みの何日か前は彼が前を歩き、レストランへ行き、十分に行けた。しかしながら、お盆休みには地域で過ごしていた職員がそばを付いていき、車にも(!)乗せた。

近隣の方も独特の歩き方をする彼をなんだあれは、大丈夫か。と遠目から言うだけで近所で噂は広まっていったようだ。決めつけは、こんなの(彼のこと)を地域で野放しにしておいていいのか。障害者を誰もつけずに過ごさせるなんて無責任じゃないかという声だった。

 

正直、まだまだ地域の障害者福祉に対する理解は進んでいない。これはどの地域も五十歩百歩だと思うが。

僕が目指している像は、健常も障害も関係なく地域で生活する。お互いに助け合い生きていく。それでも日々のことは各々で好きに生活していく。こんなモデルだ。当たり前のこと過ぎて定義するのが必要なのか?とも思う。

しかし地域の理解は自分の真逆を行っている。精神疾患の彼に対する主張が彼のためではないことに残念さを感じた。この地域は380人で最盛期でも1000人に満たなかった地域である。ここ10年20年で外から人が入ってくるようになったが、道が舗装される前は車が通れないぐらいの地域で人口の理由入はなく、社会人口(学業、仕事などで他地域へ移ったりする人口)の流出入は常にマイナスだった。しかし今後は3世帯家族が化石になってきている現代においてその世帯に替わる核家族も化石になろうとしている。これからは単身世帯の時代、もしくは疑似家族世帯の時代を迎えようとしている。疑似家族世帯とは造語だが、私が愛知県弥富市へシェアハウスを2015年1月につくった所へも行きつく。単身世帯だけでは自身の心身を保つことが出来なくなってくる。そのため60代、70代に入って、共同設備はシェアし、普段は個々の生活を送るシェアハウス(1つ屋根の下の疑似家族)も生活モデルの1つに入ってくるようになると踏まえ作った。

 

この社会の流れを理解していない地域が「田舎」である。先週の事業所の会議でも僕は彼の事例を辛辣な表現で、敢えて挑発的な文言を入れ、議論を呼び起こそうと試みた。その返答が、上記の返答である。結局、事業所としては今後、長期休暇で家を空ける場合には、前もって障害者の方が1人にならないように職員、そして地域の方に当番制で昼夜見守りをしてもらうこととなった。その決定に関しては組織の意見として僕は否定しない。その通りにやっていく。しかし、地域のメンツを保つためにとか、家族がいる人たちを当然のごとく考えている考え方、そしてそれに合わせたシステムをいまだに構築しようとしている時間の止まった田舎に対し、自分が啓蒙していくことは多いと思う。

 

彼に対し、長期休暇で家を空け、かつ出来ないことがあり不安視される、本人が不安に感じているのであれば障害者サービス(ホームヘルパーなど)を入れることが出来る。障害者サービスが充実してきた経緯があるのはこうした社会背景を鑑み(単身世帯か、兄弟姉妹であっても実質所得の低下による他者への物理的・経済的援助の減退)、障害を持っていて支援が必要な方には「社会が助けるんだ!」という社会同意があってのことではないのだろうか?

そして過疎地域だからこそ、所得が低かったとしても3つの経済(※私の先のブログを参照)のうち、お裾分け経済(自給経済)が優勢な場であるために、時間的余裕によって互助をゆるい、薄いレベルでやれるのだ。これが本当の公助(障害サービス)、互助(地域の輪)なのだ。

 

今後、多様なプレーヤーが自然と生活を送れるのは過疎地域において以外考えにくい。理由は「お金」にまつわる点からだが、これは後日に譲ろう。ミヒャエル・エンデ、オンケンなどの文献を見てみてほしい。今回のこのブログの意味が理解できるかもしれない。

 

それでも今回の一件は無意味な実践ではないと考える。今後社会人口増となる過疎地域では急速に元々住んでいた住民と新興住民の比率が変わっていく。それが何を意味するのか。それはここでは述べない。未来は明るいとも楽観視していないが、そこまで悲観もしていない。

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コメント: 1
  • #1

    青tomo (月曜日, 12 9月 2016 15:18)

    僕が目指している像は、健常も障害も関係なく地域で生活する。お互いに助け合い生きていく。それでも日々のことは各々で好きに生活していく。ー本当にそう思います。人が生きていくのに健常者、障害者の区別が必要なのでしょうか?共生しているからこそ、互いの不便さを補っていけるのでしょうし、健常者だからと言ってできなこともあるわけです。今回のこのお話、ショッキングですね。山内さんがこの山之口に就労支援B型の施設を開くにあたって、地域の住民の方々に説明会を開き、話し合いを重ねて理解されていると誰もが思っていると考えていましたが。記憶に新しい相模原の障害者施設の事件を見ても思いましたが、障害者は劣っていると考えている人がまだいるのですね。そして田舎という空間は、思ってもみない考え、行動をとる人々がいるのは確かかもしれません。私が震災後ずっと支援している宮城県、女川町の「ゆめハウス」の事例は、地域の人々が一緒に苦労をし、その成功を喜ぶのではなく(勿論、共感者もいますが)、妬みの対象として関わらない方が無難と構えている人が地元民には多いです。都会からのボランティアたちの方がよっぽど柔軟な思考をします。復興住宅もでき仮設住宅から移り住んでも、誰も外出しないそうです。いつも近隣の人の動きを気にしている人が多いそうです。どこで見られているかわからないから出かけないとなるようです。都会では考えられませんね。人が少ないので、人の動きが気になるのでしょうか?ましてや今回のように障害を抱えた人を野放しにしているのはけしからん!という理屈になるのでしょうか?悲しいですね。何事も争いごとはお互いの違いに寄り添って理解しようとしないことが発端です。違っているからこそ分かること、それ故に助け助けられることがあると気がついたら、人は幸せだと思います。山内さんの書かれた内容から外れたかもしれませんが、遠くから見守っています。