介護と利益追求の矛盾

昨日は知り合いらと酒を交わしながら話をしていた。

 

私以外、全員女性で全員介護施設で働く方たちだったが、日々悩みが尽きないのか終始現状に対する愚痴だった。

僕はあまり愚痴を言わない。他人に関心がないわけではないが、人をどうこう言う興味がない、または愚痴をこぼす時間がもったいないと考えてるからか・・・それが幸い?しているのか人から悩みを聞くことも時にしてある。

 

昨日の悩みの主な点としては

自分が理想とする介護と現実の介護のギャップ」だろう。

 

結論から述べれば、ゆったりと利用者のペースで向き合い支援していきたい彼女ら現場の意見と利用者を囲い込む、1人あたりへの対応時間を削減し効率よく仕事をさせようとする管理者の意見が噛みあうことがないために、双方が悩み続ける。ではないか。

 

僕が現場で相談員業務(と言っても介護業界の相談業務は病院のケースワーカーと似て非なるもので現場の介護職員とやることは過半は同じだ)をしていた時にも管理者側と現場側の双方の不満が渦巻いている、またはぶちまけられることが往々にしてあった。

 

何が問題なのか。これを考えながら現場業務に当たっていたわけだが、結局は介護をお金儲けの具にした時点でこの問題とは切っても切れなくなったのだ。2000年に介護保険制度が始まったが、それまでは保険制度でなく措置制度だった。どういうことかというと、介護が必要な老人がいたとして、それを家族が行政へ訴える。必要と行政が判断したら介護施設へ行くように措置する。どこへ行くかは選べないし、質は決して高く(私は2000年以前の介護現場を見ていないので分からないが)なかったようだ。介護にかかる負担は本人・家族の支払い能力に応じた支払いだった。

これが2000年に保険制度になったことで、保険料を40歳以上の日本人は負担する代わりに、65歳以上になれば(特定疾病があれば40歳以上から)行政へ申請することで審査をとおし介護度が決まり、それに応じて計画を立て、行きたい事業所と契約し利用することとなった。

 

2000年以前は公営だったサービス提供事業体を民営にも開き、サービスの質を上げることを表面上には謳った。それで何が起こったか。

 

再度いうが僕は2000年以前の介護制度の中で身を置いていた訳でないので知らない。よって比較検討は出来ない。なので2000年以降の介護保険の問題点を挙げる。

 

 

①民間に開放したことで利益最大化が提供事業者の最大の目的となった

 

これは民間であれば当然である(とも思っていないが今はそうしておく)。利益を追求するということは利用者集めに奔走することになる。どんな老人でもお構いなしに入れる。自分のところの事業に老人を組み込んで離さない→介護保険法第2条3項には

第一項の保険給付は、被保険者の心身の状況、その置かれている環境等に応じて、被保険者の選択に基づき、適切な保健医療サービス及び福祉サービスが、多様な事業者又は施設から、総合的かつ効率的に提供されるよう配慮して行われなければならない。

とある。介護保険法に脱法した事業主がほとんどではないか。

 

 

②職員が利用者の支援者から利益最大化の駒となった

 

各介護施設で謳っている「本人を尊重した介護」、「温かな介護」、「寄り添った介護」などの文句は嘘だ。本当にそれに近いことを行っている施設があるとすれば経営的に困窮している施設だと考えられる。医療・福祉の最大の課題に、サービスを提供さえすれば質によらず同じ報酬が受け取れることが挙げられる。どんなに利用者がホッとする空間を演出しても、ギスギスし利用者を呼び捨てにする空間と受け取る報酬は同じだ。

そんなギスギスした空間を演出しようとする事業所なんてあるか!と反論がありそうだが、確かに直接的にそのような事業所を作る所はまれだと思う。ただ二次的にそうした施設になっていってしまう危険を常にはらんだ状況となっている。二次的と言ったのは、職員への事業主の考え方だ。事業主が介護に明るくないのであれば論外だし、明るいと自称していても、職員には効率さばかり求めていないだろうか。

効率的に働かせるのは資本家の論理であり、奴隷の論理だ。人は効率的になればゆとりを失う。ゆとりの喪失は働くことへの楽しさを失うし、利用者が不安になる種でもある。ゆとりがなく常にセカセカしている人間へ利用者はお願い事が出来るだろうか。昨今、利用者の老人も自分がサービスの消費者だと勘違いして女中扱いをしていることもあるが、そんな老人は馬鹿であり、分別ある老人であれば気が引けるのではないか。そこからギスギスした空間へとなっていくことを僕は二次的と言ったのだ。自分は幸い同時期にこの対照的な事業所で仕事をさせてもらった。

 

面白いことに上の評価は効率的に働く事業所を評価していたが、利用者は逆だった。面白いというよりか当然か。

 

 

③介護事故の誘発

 

①、②を考えたうえで③の可能性が高まるということだ。そもそも介護とは何だったか。ここで介護保険法に戻るが、法律の第一条では法律の目的が定められている。

介護保険第一条

この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。

 

つまり年をとり人の手を借りることになってきたら助け合いの精神で必要な部分を支え、人間らしい生活をしていくように作ったんだよこの法律は。となる。

①の老人を金儲けの具にし、②のギスギスした空間で1日過ごし、そのうえでゆとりがなくなった職員のもと人間らしい生活がその場で行えず重大な事故になる。こんな結末が見えるのであれば家で少々不自由したって1人でもなんでも暮らした方が良いに決まっている。介護はあなたを助けてくれない。あなたの持っているお金に関心があるのであってあなたでもましてやその家族でもない。あなたたちに親切にするのはあなたがお金をちゃんと払ってくれるからお金に頭を下げるのであってあなたに下げているのではない。

 

現状を良い方向にしたいのであれば介護保険制度を廃止し、措置制度に戻した方が良いだろう。利用者本人には応益負担(サービスを使ったらその対価を等しく払う)でなく、応能負担にし、所得の相当の部分の支払いをしてもらう。例えば25万円も厚生年金を受けていれば20万円を介護保険に支払う。預貯金があればさらに支払う。その会計は特別会計として透明張りにし、みんなが理解し見えるようにする。利用者やその家族もそんなにお金を払うのであれば自分たちが介護をした方がと考えるかもしれないのでドイツのように家族が介護をしてもその報酬を支払う。そうすれば特別会計に利用者が拠出しても一部は家族へ還流する。

相当程度の介護負担となれば、それは介護を行う現場の職員へ支払う原資とする。週5日1日7時間程度仕事をすれば30万円ほどもらえるのであれば意欲も出る。介護は誰でも出来る仕事ではない。

また豪勢な介護施設への設備投資の補助は一切しない。原則空き家を活用していく。そうすれば地域で課題になっている空き家問題が一部解消する。空き家は行政は借り受ければ良い。その賃料も公表する。

正直者が馬鹿を見る世の中であってはならない。介護への情熱を持った者は存在する。人格も温厚で老人がホッとするような方も少なくない。「お金」が介護現場へ混乱をもたらしている一例として今回は取り上げた。

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コメント: 1
  • #1

    Eli Maurin (木曜日, 02 2月 2017 23:56)


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