ツイッターに本日つぶやいたことだが、ブログとして再度掲載します。以下
昨日はソーシャルワーカーとしてお世話になっている学校の校長先生とお酒を飲みながらお話をした。全国的にその分野では著名な先生ではあるが、こうして気軽に話せる距離にいられることにありがたいと感じた。
社会福祉士という国家資格をとって5年になり、色々考えさせられることが日々多いが、社会福祉士というもの自体に大きな疑問を持っている。それは資本主義経済の中でこぼれ落ちてきた人に対し、世の支配者が労働者から不平不満が出ないよう適当に作った法律に基づき、その中で何とか生活をしていけるように支援をしていくソーシャルワーカーの立場そのものにだ。
誤解を恐れずに言えば、
ソーシャルワーカーは社会的弱者の支援をしているように見えて「支配者の永続をはかる便利屋、小間使い」に過ぎない。
僕は社会福祉士とはそんなもんじゃないと考える。資本主義経済の枠を出たソーシャルワークが必要であると考えるからだ。だから過疎の地域に来て自給するとはどういうことか。諦める経済とはどういうものかを実践している。以前のブログでも言ったが、資本主義経済を否定するつもりはない。要は資本主義経済、自給経済(おすそ分け経済)、諦める経済の3つの経済のバランスなのだ。現代では資本主義経済が大手を振りすぎたため、おカネで測る尺度が絶対になっている。はっきり言って違う。カネを沢山儲けている者は、100円で売ればいいものを1000円や10000円で売る。だから利益が出る。それはバータートレード(物々交換)では有り得ない。なぜなら売る側も買う側も互いに互いのものを必要としているからだ。100円と判断している相手のものを1000円と言われ、自分が1000円相当で持っているものを交換し手放そうとは思わないだろう。カネという万能なモノに交換するからこそ歪んだ取引は成立するのだ。
話は脱線したが、社会福祉士(ソーシャルワーカー)の実態は支配者が支配者であり続けるための援護射撃をする支配者にとってこれほど便利なものはないといったところか。
その意味で、本当のソーシャルワーク(僕はカネをそんなに稼げなくとも自分の力を駆使し生活をデザインしていけるよう支援することだと定義する)をしている者はどれだけいるのだろうか。日々相談に来た方のお困りを解決し、自己満足している専門職なら先は短いと考える。
今後はそれを伝えられる場を創っていきたい。
最後に言いたいこととしては、上記で述べたことは社会福祉士としての根幹にある心構えであって、目の前にいる困窮している人に対し、支援していくのは現状でも致し方ないと思っている。僕だって目の前で明日食べるものないような人がいれば、生活を立て直していくために現行の制度を駆使していくだろう。ただ、それは結局、資本家とその一味による末端労働者を黙らせるためのびほう策に過ぎないと言いたい事は理解して欲しい。
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いいこと言った (火曜日, 24 11月 2015 20:23)
本気でやってみろ、、
応援はする。
ただ世の中自分のこと第一のばかばっかりだぞ。
TAKASHI Yamauchi (火曜日, 24 11月 2015 20:40)
コメントありがとうございます。
本気で!というとしんどいのでボチボチ自分の身の丈で頑張っていきます。応援してください。
自分のこと第一のばかばっかり・・・かもしれないですね。それぐらいゆとり(経済的、時間的などなど)を持った人がいないということでしょうか。
この世にユートピアはない。それほどバラ色でもない。世の中に期待を大して抱かず、各々が各々の考えた道を歩めればそれでOKだとも思います。