戦後の都市と農村の関係

今、中公新書の「日本の過疎地帯(今井幸彦編著)」を読んでいる。まず驚くのは過疎の問題を取り上げた著書だがこの本が出版されたのが1968年であること。1964年に東京オリンピックが行われ、まさに日本は高度経済成長期の真っただ中だった。その時にすでに問題が浮き彫りにされつつあったことに驚くし、人口移動と経済活動を考え、蓋然性の高い未来を予言していたのがすごいと思う。今にも言えることだが、人口の移動・定住とマクロの経済活動の度合い(都市化ともリンクする)は相関関係がある。

さて、戦後の都市と農村の関係を見ていくと、都市は農村の食糧と人とさらには金を搾取するシステムを確立したことがわかる。そもそも都市がなぜ出来たかだが、人類がまだ農耕文化を身に着けていない狩猟採集民族だった時には、互いに食糧を分け合い、それこそ共産経済が成り立っていた。その日の食べ物がありつけないかもしれない不安定な毎日なので、少人数グループ内ではおすそ分けの文化が自然と出来ていたと考えられている。それが、野生の麦などをとって食べているうちにそれを自然から採ってくるよりも、同じ場所にまとめて種を蒔き収穫するほうが簡便であることに気づき、食べれる食糧を作る農耕文化が出来ていった。それは水際の平地が多かったといわれている。近代で経済活動が最も盛んになった場所は港が作れる場所、つまり紀元前から都市が形成される場所には定住を人々はしてきたのだ。

そこで定住をしていくと、徐々に食べ物を安定的に、多く作れるようになり、農業以外に仕事をする者が現れた。それは狩猟や農耕のための機具を作る石工であったり、豊作を祈願したり、怪我を治すと言われていた祈祷師(シャーマン)であったり様々だ。詳細は別の機会にするが、そうして専門職に分かれ、いつの日か支配と被支配、搾取と被搾取の関係が作られた。農耕文化が起こったことが経済的、社会的格差を生んだのは意外と思われるかもしれない。

この形が工業、サービス業を含めさらに複雑化、格差の拡大につながったのがイギリスで勃興した産業革命だった。この流れに乗ろうと、明治から昭和にかけて日本は殖産興業、重厚長大産業優先のハード重視の国づくりに結果、成功した。

この成功体験から脱することが出来ないため、日本ではソフト(つまり地域住民がゆるくつながり合う助け合いなど建物や法律といった外面ではないもの)な政策が軽んじられている、または意識されていないと考えている。ただ、このハード重視の政策が金属疲労を起こしている結果が過労自殺や、物質的に豊かになったのにも関わらず憂鬱な空気が、またはそれを意識しないようにペルソナを被った社会ではないかと思う。

僕はこういった理由から過疎地域がもっとも豊かさに近い地域であると考え行動している。今後は最小単位、つまり集落や地区単位の自治こそが都市に収奪されないでいる重要な地域政策であると考える。経済的指標(カネがものを言う)だけの都市部に巻き込まれ、貴重な金銭所得を都市部のインフラ整備にもっていかれている現状では地域は自立できず搾取し続けられる。地域によっては住民税は労働時間で換算され、道路を直したり、田んぼの修復、田畑の開墾ほか公的な活動に税金を納める代わりに参加する制度が出来てもいいと思う。そうすれば都市の若者が地域に来て住んでいける可能性が広がる。今では田舎に仕事がなければ税金も払えないし生きていけないとなってしまっており、これこそが都市の術中にはまってしまっている。

都市は農村を手なずけていなければ、不労所得で生活している人間(公務員の何割かはこれに入るような・・・それ以外に汗を出さずあぶく銭が入る人たち)が都市部で生活していけなくなる。これは彼らにとって死活問題である。


今後、農村で大切になってくることは経済評論家の内橋克人さんが言われるようにF・E・Cは地域経済で賄っていくということだ。FはFood、EはEnergy、CはCareで食料、エネルギー、医療・介護だ。これができるのは過疎地域が最有力候補であり、他では出来ないことだ。このFECはすべて都市が農村を支配しようとする駆け引き道具だ。

食料は海外から安く輸入し、国内の食糧を大量生産、機械化、化学肥料漬けで、とにかくカネを搾り取る、安く都市部の人間に食料を提供しようとさせる口実。

エネルギーは農村部に原子力や水力の馬鹿でかいものを作り、立地交付金という札束をチラつかせ、都市部でコントロールする電力、ガスに農村を依存させ、ロシアとウクライナさながらの関係を作らせている。

医療・介護も国が介護や医療の社会化と称し、農村へ介入を続けている。このままで良いと思うだろうか。何度もことあるごとに言っているが、物質充足社会が成立したのは1970年ごろであり半世紀も経っていない。この社会が永続すると思わないことが大切だ。


農村は徐々に自立していかなければならない。都市の脅しは無視すれば良い。おのおの自分が正しいことをしていこう。現代の若者はそれにすでに気づいている。