2015年6月19日に農村拠点である下呂市萩原町山之口で障害者の就労事業を立ち上げていくことで動き始めた。僕は大学院まで経済学を学んできたが、現在の日本の資本主義経済に疑問を持っており、それを批評する立場(つまり多くの学者やアナリストと称する人たち)ではなく、自分でその中に入り込んで、変えていけるのであれば変えていきたいと27歳を越えた辺りから漠然と考えていた。今年の1月に愛知県弥富市でシェアハウス事業を立ち上げるアクションを起こした30歳までは25歳で大学院を終えて以来、サラリーマンとして暮らしてきた。世間で言えば僅か5年間であるが、色んなことを学ばせてもらった。学生からいきなり起業をし活躍している方もいるが、一度この世間の風に吹かれてから自分のやりたいことを始めても良いと僕は思っている。まぁ、学生起業の経験をしていないからこんなことが言えるのだが・・・最近は行政や障害者関連施設などの方と会っては話を聞いて情報を集めているが、サラリーマン時代と異なること。それは自発性から来るインプット・アウトプットの質だろう。サラリーマンであればどこかしらの集団に属しているが、発言に重みが無い。他人事のようにも感じる。それに対して自ら事業を起こしている方の発言には、何気ない一言でも重みがあったりする。こんなことは30歳までロクに感じなかったことだ。
前置きはさておき、今回の事業は山之口の人々と一緒に創り上げていきたいと考えている。共に事業を立ち上げる方は地元で長年事業を営んできている方で、非常に人脈も広い。何と言っても農村拠点を提供して頂いた方だ。今まで幅広い事業を行ってきたが、故郷に錦を飾るではないが何かしらの貢献を出来ればと考えてきたそうで、その思いを残したまま萩原町の町中に下りてきた。そこに僕の過疎地域こそ今後の豊かさを再考・実践していくベストな場所だという気持ちが一つになり、さらにシェアハウスに住んでいる元々半農半Xの生活を目指されている方を巻き込んだ形で進みだした。ただし3人だけが事業を起こすのではない。僕は過疎地域こそ今後もっとも可能性のある地域だと考えており、それには過疎地域の住民との協働こそが最重要であると確信している。地域住民が参画することなく進んでいる事業は全国で数えきれないくらいある。むしろ住民参画型は少数派だ。なぜだろうと考えていた。一つは株式会社がこれまで主流の法人であったことだ。もともと株式会社はヨーロッパで交易を行うものが無事に運べれば一攫千金の事業のリスクヘッジとして始めたのが発端だ。資本家が出資することにより、その事業のリターンを出資相当分受け取ることが出来る。資本家にとっても美味しい話だし、事業主にとってもリターンは減るが、金銭的なリスクを負わずに済むいいとこどりの形だった。問題はこの形が地域に何ら貢献しないことだ。共益型の事業には株式会社はそぐわない。なぜなら事業主は事業が上手く行き利益が出ることだけを考えればよく、地域が関連しないこと(貿易などまさにそうだろう)だったら地域住民へ説明する必要もない。そのため地域住民は消費者であれば良く、その商品が安く買えるか否かだけ考えればよかった。こうした関係を通じて地域のつながりを壊していくことに時間はかからなかった。都市部だけでなく山あいに少し入ったところにも大型スーパー、家電量販店が出来、会話を楽しんでいた商店主は売れないために店を閉めていっている。大型店は収益が見込めなければ多額の損失を計上する前に撤退していく。そこに地域住民の意見はない。地域住民は買い物が出来なくなると憤るが自らが蒔いた種であることに自覚も無い。
以上の状況は日本全国どこへいっても多かれ少なかれ同じだ。地方都市に訪れては絶望的な気持ちになる。どこへ行っても金太郎飴の如し。コンビニがあってラーメン屋があって牛丼チェーンがあって、大型量販店、スーパーが国道沿いに軒を連ねている。郊外の住民はと言えば自動車で町へ下り、夕方終業後にスーパーで買い物していく。休日は少し足を伸ばしてサービス業が多い都市部へ行く。こんなルーティンが多いと見て感じる。
最近は若い人から田園回帰(田舎に魅力を感じI・U・Jターン者が増えている)していると巷で言われているが、若者の心理は推して知るべしだ。これだけどの街に行っても合理化と資本主義経済がどっぷりな環境に身を置かれれば自分の存在に疑問を感じ、時には鬱になるのも当然だと思う。例を挙げれば建築の仕事だ。私は親が大工をしており昔ながらの職人である。昔の職人は差し金(L字の金属製の定規)と鉛筆で家を一から作っていくと言われていた。柱一本にしても注文どおりに寸法取り、製材から施工まで行っていた。それは大変だったと思う。家が倒れないよう構造計算も建築士より知っている必要があるし(机上の計算とはまた違うそうだ)、想像力を要する。大変であっても大工職人は1人前になり家を一から創り上げることにやり甲斐を見出していたそうだ。現代はどうだろうか。今では構造計算は専ら建築士の仕事、製材もプレカット(現場に予め注文した寸法で切ってきた材木)、壁も竹の基礎や漆喰は重いので使わずパネルだ。そのため現場の大工も知識・経験がそれほど必要ない。会社側も知識・経験が無くても良いように家を画一的なデザインにし、組立工として働いてもらった方が工賃は安く済むし、人員を補てんしやすい。それでは今の大工が昔より楽になったかと言えばそうでもないそうで、考えない仕事をひたすらさせられ、短期間で工期が終わるので、次の現場へすぐ向かいまた同じような家を組み立てる(建てるのではない)。苦痛以外の何物でもないし、スピードを要求される(これを世では生産性という)ことからストレスが溜まる。そしてまた1人現場を辞めていく。今の若いのは根性がないと上の世代が言うのはピント外れも甚だしい。こんな仕事をしていて自分の存在を確かめられるであろうか。昔だってこんな仕事はあっただろう。でも皆貧乏で食べていくのに必死だった。そこは間違いない。だからこそやり甲斐のあるないで選んでなんかいられなかった面はある。現代っ子は違う。「働かない→即飢える」という構図は無い。考える時間が以前よりあるからこそ悩むのだろう。
過疎地域では上記の構図は当てはまらない。人がそこで生活しているだけで価値を感じられる。人が少なくなっており、同じ人と会話をする頻度が多い。いるだけで有り難がられることもある。それを全て額面通りに受け取るのは違うと思うが、それでも自分が存在することを確認できる機会は多い。何でこんなに違うのだろう。地域ごとに状況は異なると思うが山之口地区で言えば結束が強い。区長さんを始め、何かを始める時に迅速に集まる。人口が少ない(350人ほど)だけでは説明できない。名古屋のような都市だって地区ごとに集まろうと思えば集まれる。でもどこか他人事。そこで以前話した「3つの経済」で説明したい。詳細は先のブログを見て頂ければと思うが、経済には3種類の形がある。資本主義経済、自給(贈与)経済、諦める経済の3つだ。資本主義経済はカネを介してモノ・サービスを売買する。自給(贈与)経済は自分で生産し消費またはおすそ分けする。諦める経済はカネで買わず、自分でも作れなければ諦めることだ。つまり何もしない。都市部では資本主義経済が発達している。いや、都市部に限らず過疎地域を除いてだいたい資本主義経済が発達している。良い点は色々な商品が並び、カネさえあれば自分ではとても作れない代物も買える。みんな得意分野をどんどん伸ばし、さらに様々商品、サービスが開発されていく。悪い点は、自分で生きていく力を失うこと。人間はどうやって生きているか。食べて、着て、住んで、排せつして、風呂入って、寝て生きている。これを営んでいく能力がどんどんなくなっていく。なぜか。自分の好きなことをひたすら行い(これを相対的優位性と言う)、人が毎日行っている生活をおろそかにしていく。食べるモノは買い、着るものも買う、住宅もローンを組んで買って、トイレも下水会社やトイレ容器を作っている会社任せ、風呂もガス会社任せ、寝ることだけ自分でやっている状況だ。でも最近は寝ることも出来ない人は睡眠薬に頼っているのでこれも薬品会社、医者任せ。
対して自給(贈与)経済の良い点は何か。自分で生きていく能力が維持・向上出来る。贈与をすることにより自然な会話が生まれ連帯感が出来る、贈るために作るという自発性、生きる意欲が湧いてくるなどなど。悪い点は強いて言えば新しいモノがどんどん生まれてくるかと言えば資本主義経済より目新しいものは少ないと思う。ただこれは諦める経済との兼ね合いで説明すると、必ずしも必要ではないことに気付く。諦める経済とは安倍晋三首相が最も嫌う行為(もっとも自給経済も嫌がると思う)だ。モノの売り買いに貢献せず経済成長率に寄与せず、最重要指標にしているGDP(大雑把にいえば国民が作って売った1年間の総和)に貢献しない。でも諦める経済を実践することで世の中の資源は保存される。資本主義経済のいただけない点は資源を涵養(使っても復元すること)できる水準を超えて使っていく。儲かれば良いからだ。これは持続可能性とは言えない。だから世の中に目新しいものがどんどん湧き出してくる世界は魅力的な反面、つぶさに観察した方が良い。それがもともとどこから来ていて誰が作っていたか。その材料は再生可能なのか。きっと違うだろう。だから自給(贈与)経済の短所は諦める経済の重要性を理解していれば短所でなくなる。むしろ長所だ。
都市部とは違い山之口の人々は自給(贈与)経済を重視している。勿論、手に入らず欲しいモノは町に下りて買いにいく。資本主義経済を僕は否定しない。ただその比率が問題だと言いたいだけだ。贈与が頻繁に行われるため会話も頻繁にする。そのため地域の実情をよく知っている。回覧板などなくても自然と共有しているのだ。ここの比率が大きい地域は再生の可能性が高いと考える。だからこそここで僕は起業することに決めたのだ。世の中は資本(カネ)の多寡が人間の優劣を決めんばかりになっている。違う。それははっきり言う。
若い人たちが仕事が無い。だから高山市内、下呂の中心部または萩原町中心部へ働きに行っており、外でお金を得て、外でお金を落としてくる。つまり資本が流出したままだ。だったらどうするか。過疎地域で仕事を創り資本を生む事業を行うことで若者を呼び戻す。これには地域住民の理解と協働が大切だ。僕が主導でやることでもない。僕が行うことはこの動きの雛型を作ることだ。田園回帰は止まらない。模索は続くが、道は開かれると信じている。
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丸大 (日曜日, 04 10月 2015 22:37)
本質的な教育も必要でしょうねぇ。
ただ足るを知る、贅沢品と必需品の違いを見抜くことや、食事の栄養や健康についての知識など。
そういった生き抜く基礎が備わってないまま大人になり社会人として働いてる人が多いように思います。
昔から考えてはいるのですが、まず必要なのは基本的な食生活の具体的なプランかな。
食の偏りから体調の不調へつながり、それが仕事へも影響するようになるとストレスにもつながってくるように思えます。
Takashi Yamauchi (月曜日, 05 10月 2015 17:50)
コメントありがとうございます。足るを知る。大切な言葉ですね。表面的な知識はネットや新聞から手に入れても、メディアは良い加減な媒体です。自身で行動し見聞した結果こそ本物の情報だと思います。
食生活は人生の根幹です。粗食であれば体調も良いですし、飯と汁と一品あれば問題ないです。そこも足るを知ることから始まるのでしょうね。