田舎での農業実践報告①

 下呂市萩原町山之口に本格的に行くようになってから3か月が過ぎた。山之口にどのような思いを持って、またどのように生活をしているのかを話していきたい。


 改めて山之口についての説明をしたい。

 山之口はもともと大野郡山之口村と言い、どちらかといえば下呂よりも高山と繋がりがあった。山之口が集落として認知されることになったのも、宮村(現高山市一ノ宮)から6組の百姓が入植した言い伝えから始まる。地理的には下呂市の最北西に位置し、山に囲まれ位山の南斜面に位置する。ふもとの萩原町に下りていくには、道路が舗装されていないときには馬、徒歩で2時間かけて8キロの距離を下りていた。高山市に行くには位山峠を越えていくが、冬場は積雪により本当に命をかけて渡っていたようだ。この地域は山之口村誌(昭和31年に萩原町に山之口村が旧合併されることを期に編纂された郷土誌)によると、世の歴史と1歩、2歩時には3歩遅れて進んでいたようだ。例えば弥生時代に入り稲作文化が伝播し人々は定住するようになったとあるが、この地域が稲作を始めたのはそれから7~8世紀後の事だという。それまでは縄文時代の生活をしていたようだ。こう考えると我々が学んでいる歴史は一体どこを中心において話しているのだろうか。もっと言えば歴史とは権力者中心に描かれており、ある時点で重要だったことも、それが傍流であれば歴史上に出てくることはない。そんな事を念頭に置いて歴史は勉強するべきだ。

 さてこんな地域であるが気候はどうなんだろうか。

春は遅い。4月でも0度近い日が続くことがある。本格的に農作業を始めるのは4月末。今年自分が3月末にジャガイモを植えて笑われたように1か月平地より遅い。4月末に植えていた。ただそれからは気温は上がり、特に日中は都市部と変わらないぐらいに気温が上がる。30度を超える暑さだ。ただ日が山に遮られた途端、冷たい空気が吹いてくるのも特徴だ。夕方から一気に気温が下がり、真夏でも長袖が必要だ。そして秋は早い。盆を過ぎると残暑が少しあったと思うと秋らしくなってくる。11月には1度降雪もある。冬は気温が低く、平均気温は0度だ。朝はマイナス10度近く下がる時もある。ただ南斜面であることが幸いし、降雪量はそれ程多くない。今年は1mくらい積もっていたが30㎝積もっていればいいくらいだそうだ。

交通関係でいくと12月から4月下旬まで位山峠が冬季通行止めとなる。そのため高山に行く方法は41号線を北上するほかない。また位山峠を越えるとモンデウス飛騨位山スキー場があるが、冬季通行止めなので車が往来することもない。そのため冬は静かなものだ。


 ここで3か月百姓仕事をして気付いたことは、自然を上手く活かす百姓の姿だ。都市にいると消費することが当然であり、自分から作り出すことがない。これは人間本来の能力を削いでしまう結果となり、本当の意味で「生きること」ができなくなってきてしまう。農村の百姓は違う。無ければ作り出す、または諦める。良い意味でのんびりしている。都市では無ければ売っている所を探すか、イライラしてくるだろう。田舎に時間はあってないようなものだ。朝6時に慈雲寺の鐘が鳴り、7時に朝を知らせる放送が鳴り、12時にお昼を知らせる放送が鳴り、午後6時に夕方を知らせる放送が鳴る。4回時を知るだけで十分だと思う。都市では時間がないない焦って動いているが、なんで無くなるのか考える暇も無いようだ。時間が無いと思うのは時計を見るから焦るのだ。僕は時計が嫌いでもう何年もしていない。でも職場ではそういう訳にもいかないだろう。何時にアポがある、何時に会議がある、何時に〇〇をする・・・時計に支配されている。日本で時計が西洋時計が導入されたのは明治時代で富国強兵を目指し始めてからだ。江戸時代には和時計があったが、昼の時間を6で割っていたので日の長さが違う夏と冬では時間の長さが異なっていたようだ。夏は5時には明るく7時に日の入り、つまり14時間を6で割ると刻一刻につき2時間強、冬は7時に明るくなり5時には暗いので10時間で刻一刻で2時間弱。それだけいい加減だった訳だ。時間を正確にしたのは、富国強兵を目指すに当たって国民を勤勉に、忠実にさせるためだった。結果は大成功で、西洋を超えて時間に正確になった。日本の時刻表は鉄道でも宅配でも正確だ。気持ち悪いぐらい精確だ。東南アジア・南アジアを旅した時こんな国は一つもなかった。インドなんかは1日遅れて列車が到着し、さらに遅延のアナウンスが全くないことにはカルチャーショックを受けた。ゆとりを持って動くことが田舎の良さなのは間違いない。

またもう一つ気付いたことは、田舎の百姓は忙しいということだ。やることが五万とある。春雪解け後は山に入り枝打ち、春蒔き野菜の土づくり。そんなことをしているとあっという間に春蒔き野菜の時期になり、その後すぐに田植えの準備となる。田植えが終わっても山に入ったり野菜の世話、田んぼの畔直しや雑草取りに追われる。これを見ているとコメの価格がバカみたいに安いと思わざるを得ない。1反(10アール。つまり1000平米)でコメは8俵出来れば良い方だ。1俵は60キロで卸売価格は高級米で12000円というところか。まぁ1万円として1反で8万円にしかならない。これが1年のコメから得られる収入だ。経費と言えば農作業機械のリース代、肥料代、農薬代、人夫代等考えたら赤字だ。補助金が必要な理由は分かる。でも補助金を与えているから、またこの仕組みを国民が知らずにコメを買っているから税金でコメ農家を助けるとはふざけるな!となる。無知の知を知るべきだ国民は。でも決して今の農政を肯定してるわけでもない。このことは別の時にまた。そんなこんなで秋になり収穫作業、出荷などあって冬になる。一年の4分の3はとても忙しい。都会の人には耐えられないんじゃないかと思う負担だ。


 しかしながらこのままではこの地域は人口がジリ貧だとも思う。1960年の890人をピークに旧山之口村の人口は2015年現在で380人ほどになっている。日々お年寄りが亡くなる話を受けると自然減でさらに減っているのだろう。僕はこの地域で1年様子を見ながら事業を起こしていくつもりだ。事業と言っても生態系をぶっ壊す事業とは一線を画す。2つ大きな事業構想があり1つはうつ病など精神疾患で都市部でまいっている人を呼びここで生活をしてもらう。貨幣を稼ぐ仕事にすぐにつくことはしなくても良い。それに追われて気持ちが折れかけているんだから。カネを稼ぎたくなったら都市に行けばいい。また折れそうになったら戻ってくればいい。その間の生活費は生活保護なり障害年金で賄えば良い。そのための制度なんだから。2つめはエネルギー事業だ。原子力の事故があってからエネルギーを生み出す事業に関心が向き、自分で色々実践している。太陽光、芋によるメタンガスなど。有力なのは糞尿を利用するメタンガス事業だ。田舎には糞尿やゴミ(と世間で認知されているモノ)が多い。これを活かさずに電力会社、ガス会社からエネルギーを買うのは馬鹿げていると考える。カネもそんなにかからない。メタンガスを電化するとエネルギーロスが大きいため、ガスそのもので使用する。ガスを使用した電燈、ガス冷蔵庫、ガスコンロ。こうして外部に流出するカネが劇的に減れば(電気代、ガス代、下水汲み取り代が無くなる。年間20万円は単身者でも浮く)経済が地域で循環、雇用を生み、人が外へ出ていくことは無くなる。これを10年かけて取り組んでいく。


 今後もっとも希望があるのは過疎地域だ。何にもないが何でもある。こんな地域この地域を置いて他ない。