今年も今日で最後になった。今年は色々なことがあった1年だった。仕事を退職したこと、農業を粘り強く取り組んだこと、農村との思わぬ結びつきが出来たこと、シェアハウスを始めたこと等々。
一番変わったことは、自分で事業を始めるようになったことだ。大学院を2009年に出てから、人に雇われる仕事に従事してきたが、仕事を自分で始めようと決断したことが、もしかすると今後の人生の起点年になるのかもしれない。今回は2014年に起きた身の回りの出来事と、将来起きるであろう出来事を結び付け、将来の展望を描いていきたいと思う。
将来の展望とはどれくらい先を展望するのだろうか。それは分からない。1年先かもしれないし、5年先、10年先かもしれない。それは多種多様な要因が絡んでおり断言できないからだ。ただ、起こる蓋然性が高いと私は思っている。
さて、私が仕事を辞めたことと将来との結びつきを考えてみる。仕事は医療ソーシャルワーカーをしていた。医療ソーシャルワーカー(以下MSW)とは主に病院内で経済的、社会的に困窮した方の相談にのり、退院後の生活設計を支援していく役割とでも言えば良いか。病院は治療をする場であり、MSWの立場で患者に接することは希少と言える。なぜならば、治療という行為は父権主義(こうすれば、ああすれば良いんだという相手の心情を見ずして半ば強制的に決定をしていく)に近く、患者は治してもらえるんだからと我慢を強いられることも多い。しかしMSWは父権主義によらず、共に一緒に考えていく「道しるべ」的な存在だと考える。そのような仕事に暫く就いてきた。
ではなぜ辞めたのか。それは積極的な理由と消極的な理由による。
積極的な理由によれば、私がこの医療・福祉の世界に入り4年半程経っていたが、矛盾ばかりが見えたからだ。その矛盾をただしていく実践が必要と考えていた。医療と福祉は高齢化社会に不可欠なものであり、今後最も日本が力を入れていく必要がある所だ、とよく言われる。本当にそうだろうか。医療も福祉も官僚が交通整理を担当し、道づくりをしているが、その道がどこへ続くのか良く分からないまま作り続けている。一方、医療、介護の現場はそれにひょこひょこと続いていくだけだ。官僚の尤もらしい政策と銘打ったものに何となく追随している。
今までであれば、経済成長をし、成長した分のカネを医療・福祉にも潤沢に投入出来ていた。分かり易く言えば、経済成長をしている時には、少々カネの使い方を間違えても成長することにより、そのミスがかき消される。年々、経済成長し、税収が上がれば、使い方を間違えても、やり直しがきくからだ。しかし、現在はどうだろう。人口が減り、消費が減り、作る必要性が今までよりも無くなってきた今、普通で考えれば
資本投資<減価償却
が成り立つようになってくる。設備が摩耗していくのに投資が追いつかず、生産は少しずつ減ってくるのが自然だ。その中では税収も上がらない。したがって医療・福祉も使える財源が徐々に減ってくるはずである(他分野との相対的な比率が同じであれば)。
しかしそうではないようだ。医療、福祉含め社会保障費は年間1兆円ずつ増加しているというのだ。それは勿論、国債を原資としている。
そのような脆い土台に乗っている医療・福祉は今後大幅に縮小していく可能性が高い。特に高齢者分野はそうだ。この世を去っていく人への過大な投資はやろうと思っても出来なくなってくる。私はこのような脆弱な土台で仕事をし、自己満足したまま過ごしていくのは耐えられなかった。
その中で、介護保険、医療保険に依らず、1人1人が生きていけるようになることが必要であると思い、生活実践を始めるに至ったのが二拠点居住なのだ。それには病院で週に5日も拘束されていては到底辿り着けない。そのため仕事を辞めることにしたのだ。
消極的な理由としては、病院という閉鎖的な空間が耐えられなかったことだ。病院の論理に振り回され、自分と相反する行為を組織のために甘んじて行う、そのことにどうしても耐えられなかった。私の防衛機能は「逃避」であると言える。
このような所から、仕事を辞めた訳だったが、その後のシェアハウス、農村の物件を譲ってもらう。この2つに出会ったことが、実践を行うきっかけとなった。
元々私は、医療・福祉の道に入ったのは貧困に関心を持っていたからだ。インドの貧困を大学院で研究し、なぜ貧乏になるのか、なぜ貧乏になるものがいるのか、それを最前線で学ぶつもりでMSWとなった。
シェアハウスの構想は2011年には大よそ出来ていた。東京を中心に流行している若者が志向が似た者同士住んでいるシェアハウスと言うより、色々な世代が、それぞれの問題を無理なく解決し、疑似家族を形成する。そんなアイデアだった。
それが2014年夏に突如、実践できるチャンスに恵まれたのだ。知り合いが名古屋市郊外で空き家を処分しようとしていると。更地にして土地を売ろうとしていた方だったが、自分の中でアイデアを形にしたいと閃いた。
そして5年程住んでいない家をこちらが改装することを条件に自由に使っていいと許可を得たのだ。今、空き家問題が大きく取り上げられるようになってきている。全国平均で13%だという。8軒に1軒は空き家だ。半分近くはそのまま住めるという統計もある。何て勿体ないのだ。イチから自分のアイデアを形にすれば1000万円は下らないだろう。
それをリフォームであれば半分以下で出来る。そういうこともあり空き家を活用させてもらった。
また農村の物件を譲って頂く話もふと湧いた話だった。当初は知り合いが親が亡くなり住まなくなった岐阜の田舎の家を私の家が不動産業をしており売って欲しいとのことだった。しかし、値がついても買う方がいないのではという話をしたところ、要らないかとなったのだ。つるけんたろうさんが倉敷に0円で家を譲って頂いた。あれがまさに自分の身に起こったのだ。
このシェアハウスと農村の家から、将来が見えてくる。
今後、都市部、都市部郊外、農村部ではそれぞれ特徴的な変化が起きる。
都市部では急激に高齢化が進み、単身の高齢者、未婚単身者が増える。その結果、地域の結びつきは今よりも更に薄まり、財源の問題から、医療・介護でカバーできる率が今より急激に下がる。つまり放置され、孤独死も何ら珍しくなくなる。
都市部郊外では、高齢化は今より進むが、郊外に住んでいる団塊世代が亡くなり、都市部ほど高齢化は進行しない。一方若者が減り、インフラも財源の問題で不十分になってくる。土地の価格は下がり、かと言って買うカネを持った者も減ることから未利用地が増え治安が悪化、地域のつながりは希薄化する。
農村部では、高齢化は行くところまで行きつき、反対に、若者が多く都市部から移り住んでくるようになる。理由としては、物質的な豊かさを突き詰めた一方、人心荒廃、環境破壊の進展が不可逆的になり、生命を維持していくコストが都市部では途方もなく高くつくようになり、やや逃げるように農村部へ移ってくるようになったからだ。しかし、農村で小農生活(贅沢な生活ではなく衣・食・住を最低限賄い、その余剰で生活をデザインしていく現代版百姓)を実践していた者を模範として豊かな生活に皆気づき、徐々に都市→農村の流れが定着するという格好だ。
私が考える将来像は上記であるが、シェアハウスと農村の住居との関連を見ると、シェアハウスは、公的支援を期待できなくなった都市郊外において生活を維持していくには、世代を超えた住居が必ず必要になると考えられる。家で1人で暮らすのではなく、かといって施設で同じような属性の者たちと、介護という監視下の下に生活を強いられるのか。その間でもない、新しい形が必要とされる時代は近い。その1つがシェアハウスというわけだ。
また農村の住居は、つるこうたろうさんが0円で手に入れたように、農村で余っている。誰も入らなければそこは朽ちていき、地域の財産を失う。買い手がないと宣告され、開き直ることで売り手は農村の豊かな再生という付加価値を手に入れることが出来るのだ。農村で小農という現代版百姓の生活を実践すれば、経済収入は考えるよりも少額で豊かな(ここでの豊かは経済的側面ではない。心理的な要素が強い)生活を送ることは可能であると考える。その実践の場を与えられた私は幸運である。
2015年は飛躍の年になる。といっても健康を第一にイライラ・ガツガツ、セカセカせずのんびりとマイペースにやっていこうと思う。こうして自分の考えをアウトプットし、一石を投じることが出来ればと思う。
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