医療亡国論?

今日は、自身が体調不良ということで、紹介状を持ち、近隣の赤十字病院へ行ってきた。

そこで見たのは、人、人、人の山。

どこからこんなに人が来るのかと思うぐらい高齢者を中心に患者が外来にあふれている。


今日の主張としては、日本の現在の医療体制は持続不可能であるということだ。


日本の医療体制について、まず概観を説明したい。

日本の医療は第1次医療圏、第2次医療圏、第3次医療圏に分かれており、おおまかに第1次医療はクリニック、第2次医療は地域の救急病院、第3次医療は高度救急病院となっている。

理想的な形は第1次医療に普段はかかり、クリニックで診断がつかないような場合、精査を含め救急病院へ紹介状を持っていく。またクリニック、地域の救急病院で手が付けられない場合は高度救急病院へ受診となる。

つまり役割分担がはっきりしており、簡単な治療はクリニック。入院して治療を要する、診断のためにやや高度な検査機器が必要なら地域の救急病院。難病、高度な手術が必要な疾患の場合は高度救急病院の出番となる。


ただ、日本では医療へのフリーアクセス、つまりどの病院へいっても治療はしてもらえることが保障されており、風邪の症状でも大学病院へ行くことが出来るのだ。こうなってしまうと、当初考えられていた病院の棲み分けは意味のない物になってしまう。


高齢者を中心に大病院信仰は根強いものがあり、地域にあるからと、クリニックで診れるような疾患を、大病院の医師が外来でフォローしているのが実情だ。

大病院の医師は、軽度な疾患に時間をとられ、本来行う必要がある、高度な手術、難しい疾患の治療(経過観察)が満足に出来ないでいる。入院患者を時間をかけて診ることも非常に困難と言われている。

敢えて、数字などで高度救急病院、クリニックの単位時間当たり人件費の統計は出すつもりはない。当然、高度救急病院の人件費が高い。なぜなら医師・看護師・薬剤師の数がクリニックと雲泥の差があり、カネがどちらがかかるかと言われれば明らかだろう。


このような中、強制的な、フリーアクセスを制限する政策は出てきそうにない。

医療はお金で測るだけのものではないのは重々承知しているが、科学はカネのかかるものだ。医療も例外ではなく、高度な治療を開発していくために(私はこの研究自体に疑問を持っているが、ここでは述べないこととする)膨大なカネが必要である。

本当に治療を受けなければならない患者が、受けられないのが今の日本の医療ではないか。今日、私が行った赤十字病院は高度救急病院だが、あれだけ患者が溢れかえっているのは異常だと考える。

高度救急病院はむしろガランと普段はなっているが、紹介状を持った患者、入院治療のために職員が汗を流しているのが本来の姿であろう。

このまま、高度救急病院に人が溢れかえっているようであれば、税金で大方を見ている医療保険制度が破たんするのは間違いない。

これでは治療を受けられなくなる日が来ると言わざるを得ない。無い袖は振れないのだから。


本質的な問題としては、国民の医療を受ける姿勢そのものが変わらないと、医療制度の存続は危うい。通院は、学校や仕事へ行くことと同義語ではない。医療事故が起きた者に対し、補償をする国民全体の社会システムだ。

むやみやたらに心身に不安を覚え受診するのではなく、そんなことも考えるのを忘れるぐらい生活が充実する、豊かな生活を送ることが求められるようになるだろう。

短期的には、病院の棲み分けをはっきりさせ、高度な治療をクリニック→地域の救急病院→高度な救急病院の順番で受診する制度にやや強制的でも移行していく必要がある。


一朝一夕ではいかない問題だ。