西成区とあべのハルカスから見る資本主義経済の現実について(アベノミクスへの疑問)

昨日、大阪に行った際に資本主義が発展したことに伴う象徴的な場所へ行ってきたので、その報告と少しばかりの考察もしてみたいと思います。

それはタイトルにも書いた西成とアベノハルカスです。西成は知る人ぞ知る日雇い労働者のメッカであります。1960代から石油ショック後暫くは景気が良く、身体が健康でさえあれば日雇いでも生活に困ることは無かったと言います。ただ、今はそんな西成も失業者と生活保護受給者が増えている状況です。

一方はあべのハルカス。近鉄が昨年5月に開業した商業施設。このご時世に景気の良いものを建てたもんです。資本主義的側面からして明・暗を分けた、この2つを見ることは今の日本を考えるためには良いだろうと思い、行った訳です。


以下当日のツイート内容。


名古屋に帰ってきた。大阪に少し寄り、新世界で食事をしていた。そして車を新今宮駅の近くに停めたので、西成をブラブラと歩いてみた。 安アパートやドヤ(安宿)の看板が目立つ。「舐めとんかボケ!西成を舐めんなよ!」とくだを巻いているおじさんもいた。 それとは対照的な天王寺駅近くにあるあべのハルカスにも行ってきた。本当に資本主義経済下で明と暗を分けた二者が近くで共存している絵は全く笑えなかった。

おまけに新世界ではマルハンが巨大なパチンコ屋を建設していたのを考えるとどこまで資本家は貧乏人か

ら搾取をすれば気が済むのだろうとも考えていた。

アベノミクスの3本の矢は、経済的に報われない方にとって毒矢だ。 ①金融政策・・・量的緩和を推進し物価上昇を図りデフレからの脱却を目指す ②財政政策・・・国土強靭化政策等、公共事業を進め経済成長を。 ③経済成長推進・・・法人税減税、規制緩和推進


①に関して、資本の自由化(お金が国内に留まらず世界中を駆け巡る)により、量的緩和をし、物価上昇を目指しても無意味。貨幣数量方程式というのがあるがMv=PT(Mは貨幣の流通量、vは流通速度、Pは物価、Tは取引量)が式になる。Mを増やせばvとTは一定としてPが上昇することを当て込んでのことだが、Mは日本国内に留まらない。90年代半ばまでは資本の自由化がされていなかったので、国内で貨幣流通量が増えれば、日本円1円当たりの価値は下がり、商品の価格は上がることが見込めた。しかし今はそうではない。そのカネは日本より儲かりそうな国への投資となりMは増えない。故にPも上がらない。それどころか、貨幣の価値は下がるので、円安が進み、輸入物価が上がる。原材料費が上がり、商品価格は上がる。つまり需要が上がり物価が上がるディマンドプルインフレではなく商品を作るコストが上がり商品の価格が上がるコストプッシュインフレを引き起こす。既にその兆候が著しい。これはエンゲル係数(収入に対する食費の割合)が高いと言われる貧困層に大打撃となる。

②に関しても累積1000兆円の国際債務残高は返済していくことは不可能だ。その上で毎年40兆円の借金を増やし、無い袖を振っている。ケインズは公共事業で穴を掘って埋めるだけでも乗数効果で経済成長が図れると言ったがバカな話だ。生態系を無視している主張だ。毎年、全国各地ではこれに近いことが行われている。名古屋市内でも毎年掘り起こしては水道管の埋設だのアスファルトの整備だの理由をつけ行政の予算を無駄遣いしている。毎年直さなければいけないのであれば名古屋市全体の幹線道路が毎年掘り返し直さなければいけないはずなのに一部でこうした愚行が続いている。

この予算を社会保障に使ったり、そもそも意味のない予算なので、住民に還付すれば良い。そうすれば住民の可処分所得は上がり、生活負担は緩和される。もっと言えば、生活のために働くカネを稼ぐ時間を他に回せ、余暇を充実させられるかもしれない。こうしたことを行政、公共事業団体は考えていないために平気でこのような事業に予算付けが出来るんだと思う。

③に関しては、既に国の政策は国内外問わず、巨大な資本力を持つ多国籍企業(メガカンパニー)の希望をなぞった政策を推進している。法人税減税は株主である企業の資本家が1円でも取り分を多くできるように、また規制緩和は国をまたぎ自由に稼げるように国が規制した多国籍企業が儲けるために余計な規則を取っ払うことに他ならない。労働者のためになることは今後国が行うことはないと考えた方が精神衛生上良いと思う。

じゃあどうしていくか。私見として、1人1人が生きていくために最低限の衣・食・住の備えが出来るようにしていく。具体的に言えば、衣は現代で余った衣類を有効活用、食は1人1人畑を持ち、毎日少しずつ耕作、住は空き家の活用、またはモバイルハウスの様な手に余ることない家を作る。そしてインターネットやFAX、電話がなくても話に行けるぐらいの地域の単位を1自治区として住民自治を進め、互いに不足していくところを補う。その中で働くことが物理的に出来ない方(高齢、障害、子供など)を自治基金を作り、支えていく。この自治基金こそが社会保障である。自治基金はカネでなくともその方らに割く時間を提供しても良い。それぞれが出来る範囲で出しあうのだ。これはそれほど難しいことではないと思う。ということを説得力あるよう説明できるよう実践していく予定である。