非日常とは昔の言葉で「ハレ」を意味し、普段は経験することのできない、例えば祭りや遠出などの行事を指しました。良い意味で用いられることが多いですが、現代では望ましくない非日常というのも数多く存在します。例えば
・望まない精神科への入院
・お金が無く生活していけない
・家族間で関係がうまくいっていない
・展望の見えない福祉就労
・住む場所を喪失した
・シェルター(避難所)での苦しい生活
・いじめる側・いじめられる側にある(職場、学校など)
・日常的な暴力(身体的、心理的、経済的など)にさいなまれている
・会社を辞めたくて心病むくらいまで追い込まれている
・自分に選択する権利無く進む日常(介護を受けている方)
・死んでしまいたい。この世から消えたい
など
非日常は終わることが分かっていればそれほど苦にならないかもしれません。しかしこれが見通し無くずっと続くことになればどうでしょうか。
人の生活は「日常」があり、時々「非日常」があることによって成り立っています。あなたが非日常に置かれているのであれば、日常、つまりあなたが平穏に過ごしていた時のような日々に戻ることが必要なんです。
※日常へ戻ることを大切にしている理由はコチラをお読みください
上記に例を挙げましたが、あなたが置かれている状況が危機的(非日常)であれば、それをどうしていくか、解決に向かって進んでいく必要があります。非日常に置かれている場合、往々にして冷静さを失っていたり、目の前のことにとらわれるばかりで焦りだけが募っていきます。
第三者が中に入って一緒に考えることが必要なことは少なくありません。
詳しくは「自身で危機に対処していくようになるには」をご覧ください。
第三者が関わり、危機に対処していくことは、あなたに自身で対処できないほどのストレスがのしかかっているとも言えます。人はストレスを自身で処理し、社会とうまく折り合いをつけて解決していきます。それが人としての成長と言うことも出来ます。しかしながら過度なストレスが一度にかかったり、ストレスが立て続けに加わることで、人は対処不能に陥ることもあるのです。現代ではそうして出てきた症状(うつ症状や暴力、人との関係の断絶など)を病気とみなす傾向にあります。
私に言わせれば、それは病気でもなんでもなく、対処不能な事態が起き、心身に症状が出てきている。その症状は至極当たり前の反応であり、正常なものと認識します。なぜなら、その症状は病気にならないためのシグナルだからです。